名将野村克也

野村克也さんは「無ドラ」の状態からスタートした。

 

ドラ理論はサイバーエージェントの社長、藤田晋の新著に書かれている。

 

これ。

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ここでいう「ドラ」とは、七つの習慣でいう「外側の力」の事。例えば高い身長や容姿、体格の大きさ、綺麗な容姿、有り余る程の富がそれ。

 

多くの人たちは自分に打出の小槌的に使えるが、自分の本質的なパワーではない「ドラ」を持っている事に気づく。麻雀では例えばドラが1枚自分の手の内にあって上がると、点数は倍になる。2000点なら4000点になる。いったら魔法のような牌だ。 

 

例えば綺麗な容姿の女性は異性に魔法をかけて自分の手玉にとることができる。 

 

 

 

野村克也の場合ドラが全くない所からスタートしたけど、彼はそれを強い状況を変えるための強いモチベーションへと変えた。多くの人はそこで人生を嘆いたりする所を。

 

つまり、家がものすごく貧しくて、どうにかして貧困から脱したいという強い欲求があった。根底にこの強い衝動があったことが、まず大きな成功の土台になったと思う。

 

例えば逆に野村監督が大金持ちの家庭に生まれたらどうなってただろう?多分プロ野球選手にならなくて違う生き方をしてた可能性がある。研究者とか先生だったりとか。プロ野球は稼げるから目指した訳だ。それ以外にも歌手や俳優も当時高収入になるから試したようで、要は色んな富を脱出するための手段を模索してたんだと思う。それで野球選手になった。

 

もし金持ちの家庭に生まれて親から多くのお金を得ていたらもちろんお金持ちになりたいという強い欲求はもともと既に金を持ってる訳だから生まれる余地はなかったので、「どうやったら貧困を克服できるだろう」という手立てを模索しなかったはず。

 

 

そして選手になってからも、様々な行動の根底には、その貧困を脱出したいという強い欲求からくる情熱が土台にあったと思われる。野村監督は肩が決して強くなく、むしろ弱い方だったと思われる。キャッチャーからしたら致命傷だ。

 

ここでドラ理論でいうと強肩はドラである。肩が強ければちやほやされる。キャッチャーは肩は重要で、肩がものすごく強ければそれだけで重宝される。

 

つまり強肩はドラで、自分がそのドラを備えていたら、アマチュアの時点で極端な話そこまで努力しなくてもいつも強肩でランナーの盗塁をかんたんに刺せてしまうからレギュラーになってしまう。

 

これは1件うらやましい、いいことだと思われるかもしれないが、成長という点にフォーカスして考えてみてはどうだろうか?

 

成長に関して考えると、肩が強い事で、他の能力を高めようとする強い欲求は低くなりがちになる。もちろん一概に言えず、プロ、メジャーと大きな目標や志を持ってる人はそれでも成長したい強い欲求があるんだろうけど、肩が強いとそれで例えばレギュラーが確約されたら、少なくとも危機感は感じなくなる。つまり、「自分はレギュラー争いにさらされている。何とか向上してうまくしていかないと」というモチベーションは生まれない。そしたら日々の行動が違ってくる。バッティングの技術を吸収する貪欲さもなくなるかもしれない。

 

 

そういう訳で、肩に関しても野村克也はドラは持ってなくて、むしろ弱かったから、それをどうにか補おうと考えたはず。野村監督は取ってから投げるのが速かったらしい。つまり、肩の弱さを送球でカバーした。弱さを他の方法で補った。

 

 

重要なポイントは、ドラという外側の力に強く依存すると自分が弱くなるという事だ。野村監督はお金というドラがないから試行錯誤したし、肩が弱かったから送球の速さの技術でカバーしたように。

またもちろんキャッチャーのリードの技術で。