遊ぶしかない

ホモデウスを30ページ位先日立ち読みして、まず、人類は今後どういう目的や方向を持っていくべきかみたいなトピックを提示された。

 

それに対しての仮説が、「遊ぶしかない」だと何となく思った。

 

まだちょっと読んだだけで、今本屋に来てるからまた立ち読みして続きみるのが楽しみ。

 

人類は過去何千年も格闘してた3つの人類の存続を及ぼす疫病、戦争あと忘れたをほぼ完全に克服して今がある。それらの克服のためだったけど、今後はどのためになるのか。

 

テクノロジーによって利便性が向上し、無駄な時間を省略してくれるサービスがスマホベースで登場し、より多くの余暇を生み出していくことにどんどんこれからなり、また仕事自体も人間の代わりに機会やテクノロジーが代替される。

 

遊び、心地よい体験型の非言語的なコミニュケーションがこれから世界的に流行ってくのかなと思った。伊豆大島に行く人達はスキューバダイビングという体験をするために行く。けどそれ以外では中々伊豆大島は観光業としては好調ではなくて、そのポイントは体験なのかなと。

 

インタラクティブなコミニュケーションがネット配信だと重要だと考えられていて、配信者とコメントでやりとりできたりするのがまたみにきたいというポイントでもあるらしい。

 

けど、非言語的なコミニュケーションをベースにした体験型の心地よい経験は、国籍を問わない。それはスポーツなんだと思う。スポーツは一体になった非言語的コミニュケーションだと思う。一緒にゲームをやること自体が既にコミニュケーションであって、そこには不必要な口頭のコミニュケーションは決して重要ではなかったりする。