トランプゲームの大貧民は人生の縮図

社会が要求している成功や幸せのイメージって、たくさん大きなモノを持つことな感じがして、でも、それを刷り込まれても拒む自由意志はあって、そうすれば、自分が考えたとおりになる。

大きなモノをたくさんもつこと至上主義だったんだけど、大貧民でいう革命が起きて、その状況が実は逆転してるんじゃないかなと思う。

大貧民ってエースもかキングとかクイーンとかのカードをたくさん持っている人が「大富豪」で、3とか4弱いカードを持っている人達は大貧民と捉えてる。

あれって今の縮図で、スマホ革命とか革命後逆転してるんじゃないかなと。


実際に現実的にはそんなことなくて、たしかにたくさんの資産、所有物、大きな役職につくことは、社会的にいいことに思えます。それがとても立派なことだと社会的に捉えられてるから、みんな大きなモノを所有することを目指します。

でも、それが仮に幻想だとしたら、エースやクイーンやキングを揃えても無価値になります。

 

結局、社会が価値あると思わせている大きな地位名誉お金所有物をたくさん持つことは実は幻想で、ピーターティールの隠された真実の、その幻想の裏に隠された真実は、自由なんじゃないかなと勝手に考えました。


つまり、多くの幻想的に価値がある刷り込まされているそれらのモノをたくさん持てば持つ程小回りが利かないというか、身動きがより動けなくなるというか、自由がより制限されていくような気がします。


上のものは幻想的で本質的な自分にとっての幸福は、自由であることだと思います。それは堀江さんの本の好きなことをやりまくる人生とリンクしてると思います。


もう既に革命が起きてて、隠されてるだけなのかもしれないし、今後たくさんのエースのような地位名誉所有物金とかを蓄積させて、大貧民の革命後みたいに「ババ」同然の無価値なものになるような時代にならないとどうして言いきれるのか不思議です。

なることもならないことも未来は予想できないですが、100%起こらない保証はないです。なぜなら130まで余裕で生きれるなら、あと100年は生きれるので。