思考は現実化するパート2←小堺一機さん風に

90年代、高橋由伸小林幹英川上憲伸坪井智哉なんてドラフトがあった。僕は坪井が大好きだった。綺麗なヒット、当然ながら中学で左に変えてから坪井のマネをしてた。最初は先生に何左で遊んでるんだみたいに怒られたんだけど。当然ながら高橋由伸の打ち方も真似した。大魔神佐々木さんもいたフォークとストレートで9回に出てきた時に相手チームにたとえ一点さでも絶望感を味わさせるような圧倒的なクローザーだった。無双してた佐々木さんから当時近鉄からFAで巨人に移籍してきた石井浩郎さんが変態的な打ち方でハマスタで右中間にド変態フォークボールを流し打ちでホームランしたのは記憶に新しい。

ここまでが前置きで。まず僕の仮説から言うとこの時代のレベルはめちゃくちゃ高かったと思うんですが、僕はイチロー選手がものすごく牽引したんじゃないかなと思ったんですよね。


イチロー選手は他人にバッティング指導をして彼らの打撃のレベルアップをさせたとかじゃないです。あくまでもイチロー選手は自分自身に完全に集中しました。自分の打撃や初動負荷トレーニングとか全ての事で改善する事に集中してました。

自分にフォーカスすることで間接的に他の選手の底上げにもなったと僕は考えました。なぜなら、圧倒的な存在がいたからです。

イチロー選手はバッティングだけじゃなくて守備も肩も守備範囲も走塁も盗塁も足の速さも全てにおいて完璧に近いような圧倒的な存在だったのかなと。


僕は高橋由伸選手もすごく好きだったんですよね。バッティングが。しかも守備も送球とかめちゃくちゃ正確でうまいんですよ。かなりのレベルだったけどイチロー選手がいたからそこで慢心は多分なかったのかなと思うんですよ。他の選手も同様に。イチローさんは全てにおいて遥かにうまいって。


他の人も多分そうなんですが、やはり僕もイチロー選手にものすごく影響を受けました。中学から左打ちにしたのもイチロー選手になりたかったからです。ものすごく綺麗なヒット、流し打ちをみて僕も同じようになりたいと。守備は外野だったし。

やっぱり野球を高校までやってきて、なんだかんだ野球がものすごく好きで、今はフットサルばっかで野球は一切やってないんですが、やはり当時好きだったのはイチロー選手の影響がものすごく大きかったです。


なんで僕の野球ライフとイチロー選手は切り離せないような感じで、当時は野球を観るのも大好きでした。大学くらいまで。ネットとかで全部記事は見てたし、ストーブリーグの移籍なんかが特に大好物でした。


中学一年の時に同じクラスの友達何人かと西武球場オリックス対西武戦を観に行きました。イチロー選手が出ていて、ライトのポールの目の前の席でした。


ライト前にライナーでヒットを綺麗に打ってて打球の質の美しさもまだ鮮明にイメージあります。

そのゲームで中盤の投手交代の間、イチロー選手が守備位置から僕達の方にすたすた歩いてきたんですよね。

そんで、僕達の席の目の前の網に手をよっかけてポーズしてたんですよ。1mもないくらいの至近距離で。そしたら後ろから同じくらいの子供たちがばーってイチロー選手にかけよってきて、僕達の席の周りが人でいっぱいになりました。


僕はその時ものすごく感動しました。特にサインとか何かを言ってたとかじゃなくただそこに来て立ってただけだったのですが。


とにかくずっとトレースしてて、今は堀江貴文さんのTwitterとかユーチューブチャンネルとか完全に情報全部取るような感じ(完璧にはできてない)のイチロー選手がそんな感じでした。


それでイチロー選手が40歳超えた位かなんですけど、メジャーリーグで活躍してていつ引退するかわからない、50過ぎとかまでやるのかもとか考えてたんですけど、引退試合アメリカに行ってでも行きたいって心の中で思ってました。

文書だと伝わらないんですが、それはものすごく純粋に思っていて、僕イチロー引退したらアメリカまでみにいくわーとか言わなかったんですけど、度々思ってたんですよね。それでものすごく強く思ってたんですよ。

なぜならさっき書いたように、野球をずっとやってきて、ずっとイチロー選手もプロで野球をやっていてずっと追いかけてたというか影響をすごく受けてた。だから最後の試合は今までのそういうので、うまく説明できないけど、純粋に強く思ってたんですよね。

 

でもアメリカに行ったことないし、あっちまで行ってまた車とかで移動とかしてスタジアム行ってとか経験ほとんどないし、渡航費も結構かかるしなーって今なら無理ゲーですけど、当時は割と行けそうだから、まあ何とかそこのへんはなるかなーっておもってたんですよ。


結局、結論から言うと日本で行われた引退の試合の前の日のゲーム観に行けたんですよね。その時は引退するって発表してなかったんですけど。


その次の試合とかで引退って発表して引退試合みたいか感じになってて、僕のゲームは違ったんですけど、ものすごく異様な雰囲気が漂ってました。


しかもライトで。イチロー選手の15m位か真後ろみたいな感じで。


そんで僕はここから感じたのは、純粋に強く抱いてる想いはいつかそうなるって思ったんですよね。


ジェームズアレンの原因と結果の法則を19歳でリンガフォンっていう英会話の営業のお姉さんに紹介してもらってから読書に目覚めて、そういう思考は現実化する、引き寄せの法則的なのかなり読み漁りましたよ。当時。それ以外にもブックオフで片っ端から100円の三笠書房とかの本無差別に読み漁ってましたけど。


たしかにそういうのエセ科学的だと言われたらそこまででおしまいなんですけど、僕は本ベースで仕入れたそのエセ科学的な情報と上の体験が合致しました。


けどじゃあデータベースで証明してくださいって言われたら無理だからエセ科学的なんだろうけど。


これを何に繋げたいというと、僕がフットサルで描いてるビジョンについてです。僕が誰かが嫌な思いや損な気持ちを抱くことで誰かがいい思いをできるようなゼロサムゲームではなく、楽しさや喜びや爽快感や充実感みたいなポジティブなもののパイの輪を拡大できるような、そういう感じのビジョンを描いた時に、もしそれが本当に自分にとって、それを目指すことがわくわくしたり純粋に強く抱けるものなら、たしかに自分の人格的な未熟さや至らない点で失敗や衝突は一時的にはあるのは避けられないんだけど、僕は130年という長期的な人生のスパンで考えたら、その過程で失敗とかしつつ人格主義的なアプローチも頑張っで、その密かに抱いてる純粋なビジョンに到達できると思うんですよね。


それは純粋にイチローの引退は最後観に行ってありがとうと感謝して応援したいといだき続けてたら結果的に現実そうなったように。


それはあまりにもエセ科学的だし説得力あるデータを提示して納得はできなくてふわっとした内容になってしまうんですが