スポーツは遊び

https://r25.jp/article/731142404009137434

 

 

僕は運動ってエンタメと捉える。つまり遊び

みんな戦前だかなんだか知らんけど時代遅れの軍隊教育みたいなののおかげで運動ってきついとか疲れるとか必死に走り込んだり重たいものを目一杯頑張るのが美徳みたいな捉え方する。

だからそんな辛いのは一部の人は慣れてたりそれをやる利点があるからやるんだけど、他の人はつらいだけだからやらない。

学校で無理やり走るの嫌なのに強制的に走らされたり、体力勝つためになんかうさぎ飛びみたいのきついのにやったりとか。

自分から自発的にそれをやる分にはいいんと思う。

例えば、野球で自分はコントロールがないと思ってる。それは足を上げるときにしっかり右足に体重が乗ってないから不安定でコントロールが良くないのかもで、だから下半身強化が大事と考えてスクワットやうさぎ飛び進んでやってると。

でも画一的に全ての人がうさぎ飛びやんなくてもいいんよね。やらなくてもいい人は別にやらなくていいと。

そんで自分の状況とか好みとかってみんな千差万別で、ものすごく繊細に異なる。みんな同じような感覚に思えるんだけど、ものすごく絶妙に実は異なってる。

だから自分にとってピンズドにはまったものすごく合ったようなスポーツがあったとしても、他の人はそんなに楽しくなかったりするのがほとんど。

なぜならみんな違うから。そこは限りなくみすずさんの世界と思う。

だからこの記事で堀江さんが言ってるけど、堀江さんはトライアスロンがあんまり好きじゃないと。けどトライアスロンしながら世界に仲間と回って旅行してその先で運動して、大会でれば減量にも繋がるし、その場所で仲間と終わったらご飯やお酒飲んだり観光したりとか、そういうのも含めて楽しいと。もちろんそれをやるための十分なお金もあるし。

堀江さんはわかんないけど、一人で家にこもって何かをやるというより、多分色んな面白い人達と一緒に時間を過ごすのが好きなような気がする。だから、トライアスロンはそういう意味で、堀江さんにピンズドなのかなと。

って感じで、堀江さんの状況や好みやニーズに繊細にマッチしたのがそれなんだと思った。

同じように多くの人にも自分にジャストに合ったようなスポーツや運動は必ずある。なぜなら体を動かすことは無限にあるから。

歩くことも筋トレもそうだし新聞紙重ねて踏み台昇降しながらユーチューブみたり、体幹レーニングなんかもあるし、テニスみたいな個人競技団体競技も山ほどある。

別に日本ではメジャーだからじゃあ野球とかじゃなくても良くて、自分が楽しいかどうか。それはラーメン食べまくらないと自分はどれが好きかわからないみたいな水野敬也さん的な世界と思う。

たくさん食べてみて豚骨の魚介ベースだなとかわかってくる。しょうゆだなとか。けど食べてみないとわからない。

同じようにスポーツもたくさん打席にたってみて試してみると自分に合う合わないわかってくる。それで楽しければ3度の飯よりじゃないですけど、とにかくやりたくなるから、もちろん疲れたら休んだり無理にはやらないんだけど、やりたい欲求が自然と湧き上がってくるんよね。

例えばものすごく好きな異性がいたとしてご飯食べて話しててその日が終わってもまた会いたいと思うじゃないですか?好きだからなんですよね。


同じように心から好きならばまたそのスポーツやりたくなるんですよね。純粋に好きだから。純粋に好きかどうか。もし野球はみんながやってるからとか周りがやってるからとか馴れ合いでやってたら結局純粋に楽しくないから続かない。

けど純粋に心から楽しめるスポーツや運動は必ず存在する。まだ見えてないだけで。第三の案的な。


同じようにトライアスロン海外に出てとかゴルフとかお金がかかることをやらなくてもいいんですよね。なぜならすべての人が同じような状況ではないからです。

北関東でたまたま自営で少し事業うまくいって小金持ちになったような人達はある程度お金あるからゴルフやトライアスロンとかやると。なぜなら彼らの財務状況にマッチしてるから。


好きなスポーツや運動にハマるきっかけって実は些細なことだったりするんですよね。結果的に習慣になってたわーみたいな。

例えば九年位高校までやってきた野球はお菓子もらえるからっていう不純な理由がきっかけで始めました。お菓子もらえなかったら小4で行ってなかったですね。お菓子好きだったんです。

あと十年25歳くらいから続けてるフットサルも前の会社でフットサル大会横浜駅の上でやってそれ参加したのがきっかけでした。

今でも鮮明に覚えてるけど、たしかまのくんが主催者の管理職的な人達と仲良くて、たまプラでみんな誘ってたんですよね。

そんで津山くんとかも参加して周りも参加して、まのくんがたしか結構丹念にみんな呼びかけてて、みんな行く感じだから楽しそうって思って参加したような。

だからフットサルもたまたまで、もちろん自分一人で参加して他の施設の全く知らない人ばかりの中でとかだったら絶対参加してなかった。

だから1人じゃフットサルのご縁はなくて楽しい人達がいたからものすごくエネルギーがいる一歩目を踏み出せたのかも


なんで僕は周りの力ってすごく大きいと思う。なんでかっていうと一人だと継続って簡単じゃないんですよね。特に最初のうちは慣れてないんで。けど楽しい人とかと一緒にやると相乗効果って言ったら大袈裟だけど、それが作用するんですよね多分。

ホリエモンチャンネルで東大の当日先生だった船曳建夫さんの回で、主婦がテニス人気でイケメンの先生に教わってるからみたいなこと言ってました。

それも継続するための効果的な方法でイケメンとやってたら楽しいですよ。男性なら可愛いことか好きな女のコがいたとして、その人とスポーツやったほうが楽しいですよ多分。

一見不純に思えるんですけどそれはすごくいいんですよね。

要は楽しいかどうか。エンタメなんですよ。


じゃあなんでスポーツをやるかはメリットしかないからなんですよ。

純粋に楽しくて3度の飯よりバスケでもフットサルでもランニングでもボルダリングでも好きでやってるとします。とにかくやっててわくわくするんですよ。

そうするとダイエットと無縁になるんですよね。多くの人はダイエットが主眼に置いてるんですけど、二次的なものになるんですよね。

どういうことかというと、楽しいスポーツをやりまくってると勝手にやせてくんですよね。二次的にダイエットを意識しなくても結果的にスリムな体型になってくんです。


だからまずダイエットという人生でもっとも思考とお金と時間の無駄だと僕は思ってる作業から開放されるんですよね。


そこ断捨離すると時間帯心配しなくても深夜でもスイーツとかビール大好きなのにハイボールかワインで抑えるとかラーメンの汁はうまいのに太るから残すとかそういう憂うことから開放されるんですよね。


僕はフットサルやるまで中肉中背で、162cmで78kgとかまで行ったことあるんですごくダイエット気にしてましたけど、それが全く無縁になってものすごく時間とエネルギーの節約になりました。

安西先生とかたぶたぶされたりビールっぱらとかお腹触られたりしてたからダイエットすごくしてたんですよね。そこ断捨離というか憂うのがなくなるとものすごく楽ですよ。


じゃあ意識高くジムで激しい運動してたかっていうとやってないんですよね。激しく走ってきつい思いをしてとかじゃないんですよ。

単に楽しくて仕方がないから楽しくやってただけなんですよね。そしたら勝手に足腰の筋肉量も維持どころか程よく筋肉ついて、基礎代謝が上がったからも多分あって、食べても太らなくなったんですよ。


なんで家でゲームとか好きな漫画やアニメや映画を観るようなわくわくの感覚と全く同じわくわくでフットサルすると勝手に努力とか我慢とかきついとかなしに勝手にダイエットとは無縁になるんですよね。それが運動するメリット一つです。


あとこれは完全に個人的なものなんですが、運動とかスポーツってお金のかからない自己投資なんですよね。堅苦しい話かもなんですが。


僕はビジョンがあって、130歳まで生きますと。実は9年位前に直感でわきたがってきました。まだ鮮明に覚えてるけど、人生100年なんて言われてなかったです。僕はでも96歳とかで筋肉隆々で元気なおじいちゃんとかそういう人達を介護の仕事してきて見てきてた。

でも当日130歳まで生きるなんて宣言したら絶対に後ろ指さされるような空気感あった。けど考えたというよりぴんと直感したんですよね。それで僕は自分の直感は自分自身で信頼してるんですよね。


それでその130歳まで生きるビジョンは直感して、でもそのプロセスはわかんなかったんですよ。でも、天才がなんかテクノロジーとか医療技術とか発明とか飛躍的な進歩してなんとかなるだろとは思ったんですよ。

そしたら堀江さんも200歳まで生きるみたいなのちょっと本で言ってたんだけど、そういう時代にどんどんなってきてるんだなーっては思ったんですよね。


それで130歳まで生きるって考えた時に、運動をするってことはその目標にとって効果的だと思うんですよね。

でもほとんどの人はそういうビジョンはない人がほとんどだし、ストレス貯まることばかりやって可視化できないけど体にものすごく負担をかけつづけて自己犠牲して会社とか家族とかのために頑張って、もちろんそれらは社会的に美徳と思われてるからそのはしご登って短命に終わったりすのかもなんだけど、個人的には僕は130歳まで生きるんで、そういう画一的な社会的に美徳と捉えられてるストレスを貯まるようなことで自分の体をすり減らしてまでお金を貯めるのも誰かのために自己犠牲もするのも不毛というか、個人的には筋が良くないと思ってるんですよね。


実はそういうストレス見えてなかったり耐性ついててストレスになってるんだけどストレスかかってる人ほど運動は最新再生というかリフレッシュになるからより爽快な状態で仕事できるからいいんですよね。刃を研ぐ的な。

全く切れない包丁で料理でお肉10時間切り続けるより、刃を研いでからよく切れる包丁で切った方が効率いいんですよね。それと全く同じなんですよ。

じゃあその為に20時間刃を研ぐのかっていうと多分違くて、一日15分とか研ぐだけでも切れ方違うと思うんですよね。

それと同じようにスポーツ10時間も極端な話やればいいかというと多分同じように違くて、一日10分散歩ドラクエウォークしながら近所缶コーヒー飲みながら歩くとかでも刃を研ぐような効果が実は見えてないかもですがあるんですよね。なぜなら爽快な気分になるからです。


話を戻すと130まで生きると決めた時に、運動は効果的だし自己投資的だと思うんですよね。なぜなら足腰が鍛えるられるから。

印象的だったのは、筋トレのマシーンを使って介護予防みたいなのやってて、それやってた80過ぎの方がめちゃくちゃ足腰強くて普通にあるけるし、マシンもがしんがしん軽やかにやってたんですよ。

なんでか聴いたら、ご家族の方が言ってたのは昔体操の選手かなんかだったらしいんですよね。それである車椅子の人からきいたのがその人はすごく良くしていただいて昔運動してたか聞いたら、全くしてこなかったって言ってたんですよね。

そこから断定はできないんですけど、これは過去の習慣の違いなのかなって仮説立てたんですよ。

そんで他人に説得する必要性もないから自分の中で納得してるかどうかが大事で、客観的に説得するための裏付けとなるデータとかはないんですけど、少なくとも僕は継続的に自分の足腰に投資するってのは長期的に歳をとっても歩けるっていうリターンになるのかなって思ったんですよね。

そういう訳で僕は運動やスポーツは長期的な自己投資と捉えます。超長期的ですけどね。でも足腰って客観的には可視化できないし、直接それをやったら金銭的に見返りがあるとかじゃないからみんな多分やらないんですよね。


じゃあその為に具体的に何をやってるかというと遊んでるだけなんですよね。完全にエンタメなんですよ。

だから運動=いいことだ、とか、金持ちとかビジネスマンとかいい所の社長なんかは朝ホテルの周りを走るは当たり前だみたいな意識高い系の話ではなくて完全にエンタメなんですよね。

スラダン悠悠白書るろうにけんしんラッキーまん幕張浦安鉄筋家族とかそういう漫画を片っ端から貪り読んだ90年代のわくわくと全く同じなんですよね


単なる遊びで、それは捉え方は人それぞれ違うんですけど、運動自体は中立で、個々捉えたように解釈したようにその人の世界の中で解釈したようになる


なんでお金なんて全くかかんないスポーツや運動なんて山ほどあってメリットしかないなら、人生壮大な暇つぶしかつ中流減って下流が大量発生するような時代って堀江さんとN国党の立花孝志さんの対談で言ってたけど、そういう時代で、個人的にはめちゃくちゃコスパのいいメリットしかないエンタメ(遊び)と思ってます