将棋と高校野球とフットサルとアマチュアと織田信長とICOについての考察

将棋ってどれだけ型を知ってるかっていう情報戦だと思うんですよね。

 

 

相手の意図する、これからの手を予測できたらそれに対して対策を組めると思うんですけど、それはたくさんの対戦をしたりとか観戦をすることで、より多くの型を知っているから予測をすることができて、じゃあこういう風に対策すればいいんだなっていう風に予防できるんですよね。

 

 

だけど、情報量が圧倒的に少ないと、対策が立てられないんですよね。

 

 

だから、対策ゲームだと思うんですよ。

そういう一つの意味合いも要素としてあると思うんですよね

 

 

それって、将棋以外の他のことにも応用できると思うんですよね。

 

 

堀江貴文さんが、とにかく無差別に情報を入れまくるということを言っていて、言い換えると、情報のシャワーを浴びまくるっていうことは進めているんですよね。

 

そうすることで、自分の毎日の選択に、プラスに影響を及ぼすことができるんじゃないかなっていう風に思うんですよ。

 

 

たくさん情報を浴びていれば、たくさんの引き出しがあるって言うことにつながるから、日々の毎日の選択の中で最適な選択をできることに繋がるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。

 

 

それと同じように、将棋も情報戦だと思うんですよ。 

 

情報量を大量に入れることで、ゲームの中での一つ一つの選択の中で最適ないってを打つことができることに繋がるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。

 

 

だから、情報量が少ないっていうことは、それだけ勝てない可能性があるんですよね。

 

 

逆に言えば、情報を沢山取ってればとっているほど、より勝利に繋がる局面もあるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。

 

 

抽象的なことで言うと、ある局面において行って指す場合があったとします。

 

選択肢が6つある人と、2つある人だと多分かなり違ってくると思うんですよ。

 

2つの人はあんまり効果的な選択肢選べないないかもしれないけど、6つの選択肢がある人っていうのは、もっと効果的な一手を指せる可能性があるんですよね。

 

なぜならば、最も効果的な一手を六つの中から選べるからなんですよね。

 

それと同じように、普段の生活でも、情報量を圧倒的に浴びるって言う事は、選択肢を拡大するっていうことにつながるわけだから、上のような例のように、二つの選択肢から六つの選択肢に拡大するみたいなことが情報を浴びまくることで可能になってくると思うんですよ。

 

 

これは多分、フットサルでも同じで、一つの局面において、二つの選択肢よりも4つの選択肢があった方が、より最適なルートを選ぶことができるので、フットサルの価値により繋がると思うんですよね。比較的

 

だから、実は将棋っていろんなものの縮図だと思うんですよ。つまり、将棋を突き詰めるっていうことは、他のプライベートとか仕事でもそうだと思うんですけど、そういうものにも応用がきくっていうことだと思うんですよね。

 

 

じゃあ具体的にどうすればいいかって言うと、僕は楽しむことが情報量を増やすっていうことにつながることだと思うんですよ。

 

 

なぜかと言うと、楽しいっていうことは、それだけ進んで自分から楽しいそれをやりたい風になります。

 

 

そうすると必然的に情報量とかば数が増えていくと思うんですよね。

 

 

楽しいことは何かっていうのを自分なりに考えて言ったら、将棋を観戦することと将棋を自分で指すことなんですよね。

 

 

だからといって、ひたすら将棋を指すことが楽しいかって言っとたぶん違うんですよね。

 

 

なぜなら、疲れている時は将棋をやりたいって気分になってないんで、そういう時に無理に将棋を指しても全然楽しくはないんですよ。

 

 

あとは例えば、将棋をひたすらやっていて200ゲームぐらいやってたとして、もうやり飽きたなぁみたいな感じになったとして、違うことやりたいなーみたいなことになった場合に、そこでも無理にやるかって言うとやらないんですよね。

 

 

なぜならばもう将棋を指すことは楽しくないからなんですよ。

 

 

その時はお風呂に入るとか、違うスマホをゲームをやるとか、情報収集するとか違うことに興味が湧いているということなんですよね。

 

 

そういう場合は無理にやるっていうことは逆効果だと思っていて、確かに無理にやるって言うことは、一見たくさんやることだから、うまくなることを上達することに繋がるっていう風に捉えがちなんですけど、僕はそうじゃないと思っています。

 

いつでもやりたい時にやりたいぶんだけやるって言うことが自分にとっての楽しいことだと思うから、常に楽しくやるにはどうしたらいいかっていうことを考えることが、最も上手くなるために大事なことなんじゃないかなっていう風に思うんですよね。

 

 

それは多分、将棋だけに限らずあらゆることに応用できると思っています。

 

例えば、野球なんかもやりたい時にやりたいぶんだけ自分が楽しいと思った方法でやることが、最も上手くなるための一つの方法なんじゃないかなっていうふうに思うんですよね

 

 

なぜならば、楽しいと思ってればいくらでもできるし、たくさんいくらでも出来るなら続くし上達に繋がるからと思うんですよ。

 

 

だから、いかに楽しくやるかっていう工夫をすることが、上達するためのカギだと思っています。

 

決して無理にやりたくない時に強制的にやるって言うのは、それは昔の軍隊的な古い価値観だと思っています。

 

これからは多分楽しくやるにはどうしたらいいかっていう、遊びベースの間隔、マインドみたいなのが大事になってくるんじゃないかなっていう風に僕は将棋を指していて思うんですよ。

 

 

高校野球をやっていた時は、全くそれとは対極的な状況だったんですよね。やりたくないのに強制的にやらされるみたいなのが主流だったんですよ。

 

 

これなんでかなっていう風に思ったら、もちろん勝ち負けのためとか、野球部がうまくなくなって成績を残してもちろん私立の高校だから高校は名前を売るために野球部に力を入れていたりお金を入れていたりしているわけだから、学校を PR するっていう効果が薄れてしまったら、じゃあ野球部はそういうお金を入れることはやめてしまうみたいな感じになるわけなので、勝利を目指すって言うことは絶対的な目的なんですよね。

 

だからこそ強制的に練習をさせることで上手くなるとか勝ちにつながる成績を出すみたいなことだったと思うんですよね

 

 

つまり突き詰めると、根底にあるのは勝利至上主義だと思うんですよ。これは何でかって言うと根本的にはシステムの問題だと思うんですよね

 

 

要するに、義務と権利みたいなのが根底にあってスポンサーしてもらうことで成績を残さなきゃいけないっていう義務が発生してるって言う事なんですよ。

 

 

学校からお金をもらっている雇って監督させてもらっているっていうことで、そこから利益を得ているからこそ、成績を残さないとそこから利益を得られなくなってしまうから、成績を残さざるを得なくなってしまうっていうシステムが根本的な問題だと思うんですよね 

 

 

それは多分アマチュアっていう概念から全く遠く離れているような状態でどちらかというとプロに近いような感覚だと思うんですよね。

 

もちろんプロっていうのは年収年俸みたいな感じでお金をもらうっていう感じなんですけれども、どちらかと言うとそちらに近いような感じだと思うんですよ。

 

 

要するに、プロっていうのは年俸とかそういう報酬をもらう代わりに成績を残すっていう義務と権利のシステムで、高校野球っていうのは強豪校だと割とそういう義務と権利っていうのが発生しているシステムなんだなっていうふうに思うんですよね。

 

 

それに対してアマチュアっていうのは全くシステムが違うんですよね義務と権利が発生しないっていうところがポイントなんですよね。

 

 

それでアマチュアの期限っていうのは何かって言うと NEWS Picks の記事で読んだんですけど、「好きだからやる」って言うのがアマチュアの語源なんですよね。

 

 

つまり、そこには義務と権利っていうのが発生してないんですよ、システム上。

 

 

成績を残さないと報酬が得られないとか、利益を得られないっていう、この義務と権利っていうシステムとは全く無縁の状態で自分が好きだからやるという、自分のわくわくベースのシステムがアマチュアっていうものなんですよね。

 

 

 

経済に関しては全く疎いんで分からないんですけれども、経済も多分こういう感じなんじゃないかなって思うんですよ。上場企業ってたぶんそういうことなんじゃないかなっていう風に感じるんですよね。

 

 

上場企業っていうのは義務と権利が発生しているようなシステムだと思うんですよ。要するにプロっていう感じなのかなっていうのもんですよね

 

 

利益を出さないと株主に迷惑かけてしまうから、利益を出さないと絶対にいけないっていうシステムだと思うんですよね。もちろん上場しててもそういう感じでやってない企業も沢山あるんでしょうけど Amazonとか。

 

 

だけど、そのシステム上、利益が得られなくなったら死活問題なので、絶対に利益とか成績をあげるって言うのは絶対的な目的だから、それは致し方ないことだと思うんですよね。

 

 

なぜなら、それをやらないと存続できないからなんですよ。会社も個人も成績を残さないと首を切られたり組織がなくなってしまうわけだから、絶対に利益をあげるっていうことはその中では正義なんですよね。

 

 

だから、正義は何なのかみたいな本も確かなんかあって、正義は個々人の目的に対してみたいなことだと思うんですね。だがらその個人や組織の正義のためにやってるみたいな、その企業にとっては短期的な利益を上げることが絶対的な正義なんですね。

 

 

だけど、システムがそういうシステムに乗っからなければアマチュアみたいな、好きだからやるみたいな風にできると思うんですよ。

 

 

多分暗号通貨で資金を集める「ICO」 なんかはそんな感じなんじゃないかなっていう風に思ったんですよね。だから僕はそういうシステムの方がいいなっていうふうに思うんですよ。義務と義理が発生しないシステムだから短期的な利益を追求しなくて割と済むから本当にさきたい所にお金と時間と人のリソースを割くことができるからです。

 

 

やっぱり高校野球とかでそういう風に義務と権利が発生しているみたいな、ノンプロみたいな方式ってのは強制的だったりやはり何かしらの歪みが受けてしまうていうのがあるんじゃないかなっていう風に思います。

 

 

例えば、資金調達に関しても、上場することは別に必ずしもしなくても良くなっていて、なぜなら ICOをみたいなものがテクノロジー的にあるわけだから、技術的には上場しなくてもそういうので資金調達を出来るような世の中に既にもうなっているんですよね。日本は確か規制をしてしまって出来なくなってしまったみたいな感じだったと思うんですけど

 

 

だけど海外とかだと ICO で何千億の資金調達をテレグラムが集めたみたいな、そういうケースがものすごくたくさん発生してしまってるんですよ。

 

だから、上場して資金調達するという手段はもはや多分時代遅れになっていて、じゃあ何で ICO っていう新しい取り組みを規制して、上場するっていう風な感じのみにしたかって言うと、やはり既得権益の問題なのかなっていうふうに思うんですよね。

 

 

 

要するに、上場するっていうことは既得権益なのかなっていうふうに思うんですよ。正確にリサーチとか全くしてないからあれなんですけれども、テクノロジーのパワーには抗えなくて、それをいくら規制しても、グローバルで考えたらそれはできることだと思うんですけれども、それに対して争っている新しい強力なテクノロジーに対して、既存の利益を得ている人たちが争っているっていう状況なのかなっていうふうに僕は感じたんですよね。

 

なぜならそれをやらないと自分達の利益が得られなくなってしまうからだと思うんですよ

 

 

要するに強力なテクノロジーに対して何かしら争わないと、自分達の利益はどんどんどんどんなくなっていっちゃうからだと思うんですよね。

 

 

じゃあみんな ICOで資金調達をやったとしたら、お金もグローバルにそっちからの方が遥かに実は集まっちゃうのわかっちゃったし、短期的に株主のためにやりたくないことを無理にやって利益上げるとかやらないで、本当にやりたいことのみに無理なく持続可能な状態で組織を運営できるのみんな情報の民主化スマホでわかっちゃうから、みんな上場しなくなっちゃうんですよ。

 

 

そしたら、上場しなくなってしまったら、上場することで何かしらの利益を受けていた例えば証券会社とかよくわかんないですけど、他のあらゆる業界の利益を受けている人たちが利益を得られなくなっちゃうんですよね。

 

 

そしたら、政治的なアプローチをして ICOの芽を摘んでしまおうと。まだ既得権益は全く存在していない新しいテクノロジーを普及する前に摘んでけば、そっちに流れなくて済むからと僕は感じたんですよね。全くリサーチとかしてないんで分かんないんですけど。

 

 

 

っていう風に話は脱線したんですけれども、やっぱり好きだからやるみたいなアマチュアのシステムが最も僕にとってはいいのかなっていうふうに思います。

 

他の人が道を選ぼうがそれはその人のライフスタイルだし色んな繊細な異なる状況があるんでそれにマッチした最適な方法がそれなんだと思うんですよね。

 

だから、プロを選んで厳しい状況でやることで結果ももちろん出して大きなリターンを得ていくっていうことはとても良いことだと思います。

 

だけど ICO に関してはやっぱり詐欺案件がたくさん一時期発生してメディアで連続で報道されたからといって、じゃあ規制をかけてしまうっていうのはどうなんだろうなっていうふうに僕は個人的に思います。

 

 

なぜならばICOは「手段」であって、手段は使い手によっていくらでもなるからなんですよね。

 

 

例えば、よく使われる例えで言うと、包丁なんかは一つの手段であって、それを使う人によってポジティブにもネガティブにも使うことができると思うんですよ。

 

 

例えば、千切りをしたりとか、肉を切ることで美味しい料理を作って、多くの人にディナーを振る舞うっていうポジティブな「手段」として使うこともできるし、人を傷つけたりっていうネガティブな「手段」として使うこともできるわけなんですよね。

 

 

じゃあネガティブな手段を使ったニュースが沢山メディアで報じられたと一時期したとして、じゃあ包丁を規制しよう使うのをなくそうっていうアプローチになるかって言うと多分なってないと思うんですよ。

 

包丁はあくまでも「手段」であって、それを使う人が問題なんですよね。

 

 

じゃあ何でなってないかっていうことなんですよね。

 

 

 

だから I、CO の規制に対する案件も包丁の例えのケースについても本質的には一つのツールなわけなので本質的には同じなんですよね。

 

 

 

歴史とかってまったく疎いですけど、ものすごく興味があって、世界とか日本とかあらゆる地域の歴史とかいろんなものの歴史とかすごい興味があって全くでも知らないような状況なんですけれども織田信長に対してもすごく興味があるんですよね。

 

 

 

なんで織田信長がすごく有名になったかって言うと、よくわかんないんですけれど彼は当時ものすごく画期的なテクノロジーとか取り組みをたくさん強くするためにしてきた採用してきたからだと思うんですよね。

 

その辺も正確にたくさん知ってるわけじゃないし無知なんですけれども、例えば鉄砲なんかが有名な話なんですけども後は楽市楽座って言ってなんかすごく手数料かかんないみたいな画期的な商取引のシステムを採用したりとかしたんですよね。

 

 

 

------この上まで誤字脱字編集少ししました---------

 

 

 

じゃあ何で採用したかっていうと多分天下統一と言うかその何か明確な目的があって強くするためとかでもあったと思うんですけどその目的のために効果的なアイディアとか方法をたくさん実施してきたからだと思うんですよね

 

 

一つエピソードがあって国会図書館に永田町の行って本を読んでた時にちょうど織田信長の本があって4で一つエピソードが道があったんですけど当時の皇族とか政治政治の頂点みたいなちょっと忘れちゃったんですけど日本のトップの人から織田信長がまだ下の方にいた時にものすごく高い位を当時の政府から与えられたんですよね

 

設楽織田信長らはそれを断ったんですよね

 

そういうのは別に暗いとかいらないからいらないけど手助けしますよみたいなことを言ったんですよ

 

要するにそこから僕は思ったのはおなかの中って地位名誉のために何かをやってた人じゃなかったんだなっていう風に思ったんですよね

 

 

普通ならそういうものすごく高い位ってのは受け取るはずなんですよだけど織田信長はそういうの別にいらないけど何か世のためになることなら進んで僕は手助けしますよみたいなことを言ったんですよね

 

今日は自分の利益のためじゃなくて何かもっと違う目的のために世の中のためみたいな事に本当の意味で純粋に行ってた人だったんだなっていう風に思ったんですよ

 

 

あら全然リサーチとかまったくしてなくて断片的な情報からの推測に過ぎないんですけれども要するに世の中をものすごく良い時代にしたいっていう純粋な想いで動いてた人なのがあっていう風に僕は仮説を立てたんですよね

 

 

だから勝手な邪推なんですけどもその後の江戸時代の一つの礎をもしかして気づいた人なんじゃないかなっていうふうにもう勝手に仮説立てたんですよ

 

 

それで話を戻すと天下を取った織田信長は当時いろんな画期的なイノベーションを取り入れたりとかシステムを採用して行って強くして行ったんですよねなぜかと言うと確か徳川家も同じ地域愛知の終わりでしたかねそこらへんの同じ地域で徳川家は強かったんですよねなぜならば徳川家の地域っていうのは土地が貧しかったからなんですよね

 

 

もともと武士っていうのは農民だけで土地が貧しいっていうのは具体的にどういうことかって言うといい土壌ではなかったっていうことなんですよね

 

 

 

一方で織田信長の土地っていうのは豊かだったんですよねだから何か戦で厳しい状況があった時に農民上がりだった武士っていうのはすぐに逃げ出してたから弱かったんですよ軍が

 

 

これはやってられないからだったら家に帰ってた畑耕してるわっていう風にドジョウが豊かだったから逃げ出しちゃってたんで軍が織田信長は弱かったんですよ最初

 

 

だから軍を強くするためにはどうしたらいいかっていうふうに考えた時に楽市楽座だったりとか鉄砲とかそういうのも取り入れてたんですよね

 

 

だからもし最初からそういう良くない状況ではなかったらそういうアイデアっていうのは生まれなかったはずなんですよなぜなら既にもうぐんはつよいので画期的なアイディアとかイノベーションに飛びつかなくてもすでに強い軍なわけだから、そんなことしなくても良かったんですよ

 

 

それって自分ごととかいろんな人に個人のレベルで入れることができるのは応用できるなっていう風に思っていて個人も良くない状況っていうのは織田信長のように例え一時的には苦しい状況であってもそれは実はプラスな事なんじゃないかなっていうふうにここから思うわけですよ

 

 

なぜならば自分の力とかアイデアとかいろんなものが付くからなんですよね

 

だけどもし自分がものすごく恵まれた環境とか外側からパワーを得ていて豊かに暮らせるっていう場合は自分の力は本質的にはつかない理由で外側からパワーを得ている力を得ているって言うことは自分の成長には必ずしもつながるわけではないんですよね一時的にはもちろん豊かな生活は出来るわけだし美味しいご飯も毎日食べれてすごく豊かにはなるんですけれども長期的に考えたら実は良くない状況の方が自分の成長には良いケースもあるんじゃないかなっていう風に織田信長の一件から思うわけですよ

 

 

で言う長々しい脱線から何が言いたいかっていうと当時天下を取った織田信長は積極的にイノベーションとか画期的な手段システムを排除することなく取りって言ったんですよねだから豊かな世の中になって言ったんですよ

 

 

なんでかって言うと画期的なシステムでやった方が画期的じゃないシステムでやるよりもより世の中にとってはいいことだと思うからなんですよねなぜならば効率が良いからだと思うんですよ

 

 

例えばテニスをやる外だったらテニスラケットっていう手段を採用するはずなんですよねその方が効率よくゲームを進められるからだと思うんですけどもっと上手い人だとそのテニスラケットをもっと性能の良いテニスラケットに追求したりとかすると思うんですよ

 

だけどテニスの試合をやるときにゴルフクラブでやる人っていうのはめったにいないわけなんですよねなぜならば非効率からだからだと思うんですよそんな非効率なことをしていたら競争で負けてしまうわけなんですよねつまりゲームでは勝てないっていうことに繋がるんですよたとえいくら超一流のテニス選手であってもゴルフクラブではどうしてもテニスで分かりないはずなんですよ

 

 

 

だからテニスのゲームをやる場合は最も効率的なシステムであるラケットを採用した方が良くてそしたら多分 ICO なんかも帰省したりしないで最も効率的な方法を織田信長のように積極的に採用して行った方が世の中は多分良くなるはずだと思うんですよね

 

 

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