気についての考察

ここ三日間ぐらいで気を操ることをにすごい興味を持つようになりました

 

 

結論から言うと気配を消すっていうことは相手と対立しないことに役立つんですよねつまりこっちが気を立てるから相手も気をたてるんですよね自分がやったことが同じように帰ってくるわけなんですよねそれは作用と反作用の法則なんですよつまり物理的な法則なんですよね自分がやったっていうことという作用に対して相手が同じような反作用が帰ってくるわけなんですよ

 

そういうそういう抽象的な感覚に最近気付いたんですよね

 

今まで外側のことがものすごく気になってたんですけれどもこっちが反応するっていう作用するとあっちも反作用反作用として反応するっていう子のセットなんだなっていう風に思ったんですよ

 

 

それでそれは卵か先か鶏が先かみたいな話なんですけど多分自分が先だと思うんですよね

 

 

それで自分がまず希望消してって言うことをやると全く波風が立たないっていうことに気付いたんですよ

 

自分自身の気もコントロール出来るって言う事なんですよね

 

これはまさにドラゴンボールの世界でビーデルとか大きくなったご飯がビーデルに空飛ぶ技術とか昨日概念を教える特訓をするところに描写されているんですけれどもまさにそういう感じだと思うんですよ

 

あの感覚が多分全く現実でも同じように作用してるんだなって風に思ったんですよね

 

 

たぶん気づいてる人もいるし気づいてない人も普段の生活の中でそういう気を感覚的に感じたりしている状況って多々あると思うんですよねただそれが嫌っていう概念が理解がないと言うか無自覚なだけで実際にそういう日を捉えてるって言う人はほとんどだと思うんですよ

 

 

例えばこの人はいい感じがするなみたいなそういう直感的な感覚も要するに相手の希望を読み取っていることだと思うんですよね

 

直感的に感覚的に相手がいい気なのか良くない気なのかっていうのを肌感覚で感じることができると思うんですよもちろんそういうことができない人もたくさんいるしそれがものすごく炊けてる人がいるって言うこともあると思うんですよね

 

 

それで具体的にどういう風に気を消したかって言うと僕は目を薄くするようにしたんですよねそしたら周囲の人たちに全く気配がなくなって波風とか衝突が立たなくなったんですよこれはすごい衝撃だって気だったんですよね

 

 

それで今までは僕は割と目が大きいせいか目力があるかわかんないんですけどそれはひとつのエネルギー姿勢はやっぱりエネルギーだと思うんですよまずそれに気付いたんですよね

 

 

レジャー目を大きくするっていうことは例えば通りすがりの人に対してすごく警戒心を与えてしまうからそれはやめようっていくに仮説をたてて実行したらまさにそうで全く通りすがりの人とかと警戒とか対立みたいのがなくなったんですけどね

 

 

そういえば寝てる人がいたとしてその人に対してものすごく対抗心とか警戒心とか対立感覚っていうのは全く生じないと思うんですよこれなんでかなっていうふうに考えたらその人は目をつぶって寝ているからですよね

 

 

目を閉じているっていう状況はそういうわけで相手に対して警戒心とか対立感覚とかそういうものを生じさせないことなんだなっていう風に思ったんですよ

 

アラームを限りなく細めて目を開けてないような状況にするっていうことが実はいいんじゃないかなっていう風に思って実践したらまさに効果覿面だったんですよね

 

それでよくえびす顔の木造とかがあったりするんですけれどもものすごく笑顔なえびす顔でそれを目を見てみると女はものすごく薄く開けてるんですよね

 

ツアーの旅行にいいヒントがあるんじゃないかなっていう風に思ったんですよ笑う門には福来るみたいなこともありますけど要するに笑顔でいるって言う事は目を薄めることにつながるわけなんですよねなぜならば口角を上げると自然に目の大きさも薄くなるんですよね繋がってるんで

 

 

まとりあえず機についての考察というか情報収集も神保町とかで目出しそうな本がそれからねんだったら読みたいなって思いますしいろいろネットとかでも情報収集していきたいなっていう風に思います