強い人が譲るんよ

 

強い人が譲るんですよね例えば謝る時も余裕がある人が先に情報して謝るっていう世界だと思うんですけどこれどういうことかって言うとそういう余裕があるからだと思うんですよつまり余地があるんですよねだから強さっていうのはそういう予知とか余裕がよりあることだと思うんですよねでそれはいろんな状況において応用できると思うんですよ例えば交差点にいたとして僕が自転車に乗ってたとしてものすごく大きなトラックが曲がろうとしてたとしたら譲るんですよねなんでかって言うとものすごく大きなトラックっていうのは小回りが利かないから曲がるのが大変なんですよそれって多分身体的に弱い人達に道を譲ったり指摘を言ったりしてるのと同じようなことだと思うんですよね要するに電動自転車は小回りが利くから割と簡単に道を譲ることができるんだけれども大型トラックっていうのは構造的に小回りが効きにくいからなかなか大変なんですよそれって自分が自転車に乗ってた時と相手が大型トラックに乗ってた時を考えた時にどっちが強いかっていう風に考えたら多分構造的にフラップよりも自転車の方が小回りが利く X で強いと言うか譲余地がはるかにあるんですよね

 

そういう意味であらゆる点において力がある人の方が先に譲るっていうことは原理原則なんですがこれができている人と付き合えばいいしできてない人は全く無視していいっていうことだと思うんですよ

 

だからあらゆる局面で自分が何かを譲られたっていうことは相手の方がはるかにゆとりとか余裕とかよ子があるって言う事だから色んな意味で強いっていうことなんですよねそれってすごく逆説的で自分が先に行くこととか自分が譲らないっていうことが強いみたいな風に捉えることも結構簡単にできるんですけれども実際は逆だったんですよね

 

それで個人個人の状態って良くも悪くも喧嘩してるんですよだからもし自分が譲らないで自分がまず先にこういう風な状態であったとしたらそれは自分の状態が強くない状態になっているっていう現状把握ができるって言う事なんですよねなんでかって言うと体調的に例えば疲れてたりとかストレスが溜まったりしてて水入れない状態になっているって言う事なんですよそれは一定じゃないんですよね毎日毎日その状態が変化していて変わってるんですけど

 

毎日どころか瞬間も変わってるんですよね実は実は自分の自分自身って全く変わってないように思われるかもしんないんですけれども僕はそうじゃないと思っていてどの瞬間も繊細に変化してると思うんですよ例えば午前中はものすごく譲るような状態だったとしてでも夕方になると全然譲ってない状態なんですよなんでかって考えたらひたすらずっと例えばは自転車を超えて使われていたりしてそんな余裕が全くなくなってるんですよね