最近コロナウイルスの件でも色々思うんだけど、個人レベルで無知な事、情弱な事、頭の良さなどなどについて、一つ先天的な諦めと、ゆえに弱点はそこが強みの人にアウトソーシング、外注化する事と、だけど、無知の克服が個人レベルで一生必要な課題と感じた。
どういうことかというと、生まれながらに頭がいい人もそうじゃない人もいるし、体格がめちゃくちゃいい人もそうじゃない人もいるし、コミュニケーションがうまい人もそうじゃない人もいるし。
やはり、みんな繊細に異なるというのが前提で、強さ弱さが違うけど、相互補完的に社会は回ってる。多くの人は無知で馬鹿だ。それは僕ももちろん然りで、それは一生の課題と思う。個人レベルで。けど、数%の賢者、頭のいい人、天才がいる。
だから、数%の人達にやはり、考える作業的なのはお願いするのがいいのかなと。しかしながら、TwitterやYou Tubeという「オウンドメディア」が果たして登場した。だから、そういう頭のいい人たちが、そのままの情報を即時にそれらで発信してくれる。それで多くの人達は、彼らが考えてくれた内容を、スマホで学び、なるほど、と自分にインストールできる。
それは考える事の外注化だし、車輪の再発明なるものをしなくて済むし、要石、7つの習慣でいう、「トリムタブ」的な役割を果たしてる思った。
確かに、TwitterやYou Tubeでは情報が今まで以上に溢れかえっているんだけど、今まで以上に「信頼する人の意見を信頼する」事が必要と、僕は今回のコロナウイルスが発生したここ約三週間程で痛感した。
なんでかというと、岩田健太郎さんのYou Tubeを上げた途端に、Twitterでインフルエンサーと思われていた人達がこぞって政府や厚労省を批判していたのだけど、厚労省側の高山先生の中立的な補足的な反論的な投稿があって、反対側の方向からの意見がでてきたからだ。
結果、どっちが正しい正しくない、良い良くないとは全く別の話で、これってまるで一方的な被害者側の意見だけを聴いて、もう片方を問題視してしまってるような構造と全く同じと思ったからなのが1点。
もう1点は、まるで超断片的な情報で診断を下しているヤブ医者のように、彼らは1%もその一連の状況の情報を知らないのに、片側の権威を痛烈に批判した。
結局、生粋の点取り屋のような橋本岳副大臣によって、その翌々日には岩田先生が指摘してたのがオウンゴール的に判明したんだけど、
でも、今回でやはり、権威も自らの保身故に当てにならないし、権威的なメディアもフィルターがかった情報かもだし、だからこそ、信頼できる人の意見を信頼する、言い換えると、インフルエンサーの個人のキュレーター能力が実は僕はものすごく大事と個人的には思った。
なんでかというと、馬鹿や無知は一朝一夕では克服できないからだ。だけど、僕は自分の無知を自覚してスマホで克服したいが、でも、頭のいい人たちが発信してくれてるから、それTwitterで読めばいい訳。
例えば、今回のコロナウイルスの件について、多くの人は全くわからない。けど岩田健太郎先生は感染症医でその分野でのプロ中のプロで、過去の多くの世界的な感染症において、現場で活躍した人だけど、ありがたい事にそういう人が情報発信してくれてる。
例えば、今回のケースではこういうふうにするべきだという全体的なビジョンというか方向性から、個人レベルでやるべき事をブログとかで公開してくれてたし、この本は読んだ方がいいとか、価値ある記事を拡散してくれて、それを読んだりする事がTwitterでできる。
それって一つの外注と思う。いくら頑張ってリサーチした所で、短期間で感染症の専門家には決してなれない。そこは断捨離する。捨てる。けど、自分はド素人の無知なんだけど、頭のいい人たちが勝手に考えてくれる。
今回の件で、SNSはそういう知性の相互補完的な役割を果たしている事を僕は確認したし、今もまだそうだけど、今後危機的な状況は定期的に起こるのは避けられない。なぜなら、大震災は周期的に起きているのは事実だし、防災に限らず、政治的にも色々危機的な事が起きる。
だけど、その都度、頭のいい人たちが情報発信してくれるんだろうなと思う。だから、TwitterやYou Tubeへの自由な発信が阻害されるのは大問題と思うけど、色んな人達がYou TubeやTwitterやFacebookにフランクかつカジュアルに発信できる世の中にますますなってくれる事を僕は強く願います。
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