フードデリバリーは事故死までして拡大するもんじゃない

2018年5月からウーバーイーツ開始して、それ自体拡大してった。エリアも全国的になっていってし、時間帯も拡大した。また、新しい会社も参入してきてる。chompy、menu、Anycarryっていうのもたまーにオレンジのバックを持ってる自転車の配達員を渋谷六本木あたりでみかけたりする。paypayのアプリからコンビニとかのモノを届けてくれるpaypay dushっていうサービスも福岡県で始まったらしい。出前館も業務委託開始した。僕は個人的にはやってみて働き方が気に入ってる。例えば自分の時間を優先的に使える点。本来組織ベースの働き方は、組織の紙ベースのアルゴリズムによって統制されてるのは、ホモデウスを読むとファラオの時代からそうで、それは組織としてアルゴリズムで組織を意思決定させてきたからとてつもなくローテクな時代でも例えばファラオの時代に大きな事業を成し遂げられたんだけど、今はもう組織の強力な力を借りてこなくても、個の時代じゃないすけど、十分テクノロジーの力を個人が借りて余裕で生きられるようになった。昔はそれが無理だった。1人で生きられなかった。だから組織に属する事は、豊かな人生を自分だけじゃなくて周りの家族とかも送るには最適解だった。けどそれしなくてももはやいい。それについてのデメリットは、組織を動かしてる文字ベースのアルゴリズムを元に個人はそのピースになるから、9時出社とアルゴリズムされていたら、各々は組織のピースだから、それに従わないといけない。個々脳内で9時に出社なんて意味不明だと思っていても、そうなんだから仕方ない。そうすると朝の6時まで例えばゲームしてたり友達と飲んでたら睡眠時間が十分に確保できない。僕は2時間しか寝ないで会社のために根性で起きるとかはやっぱり無理。でも本来は個人的には起きる時間ずらして起きてから働けばよくて、それができる。4年前から自営というか自分で1人で仕事始めてみてそういうのが可能なんだなと思った。ウーバーイーツをやり始めてみてそれもできる。そうすると今ベースに色々意思決定できる。つまり、自分の脳内で自分の選択の自由を使ってリアルタイムで行動を決める。本来みんなそういう選択の自由はあるけど、組織になると脳内ではなくアルゴリズムベースになるから、個人の選択の自由は制約されていく。隙間時間にフットサルの足の裏の練習とかドリブルの練習もYouTubeで動画やゲームや情報収集や読書もできて、自転車で配達なら運動にもなる。僕はずっと前から、七つの習慣でいう第二領域の活動で一日を満たすことがワクワクしていた。全てそうではないんだけど、その精度はウーバーイーツやってて高くなってる。ただ、最大の問題点は、自転車とかのフードデリバリーが拡大すればするほど死ぬ人も比例して増えるということ。なぜなら、それに関わる配達員が増えたら、事故のリスクも高まるから。だけど、そこはみんな見て見ないフリをして、サービスの急拡大だけ見てる。だから儲かると踏んで新規参入するんだけど、ぶっちゃけ語弊を恐れずに言うと単なる出前で、それは昔からある事で何も新しい事ではない。プラットフォームビジネスみたいな話なのかもだけど、会社が儲かったり株価が上がったりする為に、そのうちの1パーセントにもみたいかもなんだけど、不慮の事故に会い、命を落としてしまう。それだけじゃなくて、彼らが必死に急いでインセンティブの人参をぶらさげて町中を奔走すると、周りも事故に遭遇する可能性は高まるし、実はこういうのは雰囲気的に連鎖してる。スピードを出してる車をみて後ろのスポーツカーもめっさ競うようにスピード出すように、急いでたり速く自転車を漕いだりすることは、実は数字みたいな客観的な論理的な言語で残すことは難しいが、そういう悪影響を与えてる。そういう訳で、配達員本人が危ないのはもちろん、事故を引き起こすような雰囲気を作り上げてると言えるとも僕は思う。そういう訳で資本主義上利益を上げて会社の業績を上げることは彼らの仕事でその為に雇われて諸々サービスのブラッシュアップとかやってるんだから、彼らの部分最適でいったらそれは絶対的に正義で、それをないがしろにして甘いこと言ってたらすぐに会社は潰れてしまったりするんだろうけど、僕は人が死んでまで拡大するべきようなサービスだと全く思えないです。むしろそういう会社は淘汰さらるべきで、遅かれ早かれ多分そうなる。本来はハコボットみたいなラストワンマイルの自律配送みたいなのがやるべきで、技術的には既にそれは可能なはず。けど、マンパワーで配達してるんだけど、それって、本来電子マネーQRコードやクレカで決済されるのがベターなのに、現金で、そのために自動釣銭機みたいな現金ベースの方向に進化してるみたいな感じ。他人が事故で死のうが僕は自分の命を最優先にどうやったら死なないか色々考えてるけど、まずスピードとヘルメットと絶対に譲る事の3点をあげる。スピード上げなければ突如のクラッシュとか大幅に減らせるし、ヘルメット被らなかったらわんちゃん頭打って即死か植物人間になる。大分お子さんにヘルメットを被らせる親御さん増えてきてるが、僕は2次的にヘルメットを自分が被ることで周りにも影響を与えられると考える。自分は無名で堀江さんみたいに影響力がめっさでかい訳でもない。けどみてる人はみてる。ウーバーイーツのカバンを背負った言ったら社会的にド底辺の彼がそれでも自発的にヘルメットを被ってママチャリを漕いでる。ほとんどの人は単なる「がきデカ君」にしか追わないし風景としてスルーするけど、中には「あー確かに自分はまあ自転車あんま乗らんからあれだけど、子供は危ないから被らせとくか」となる。特に港区世田谷区みたいな金持ってそうな所は子供もヘルメット被ってる割合高い。なぜなら、彼らはお金もあるし、まともだし、頭がいいから、社会的にド底辺のアホが少しでわかるような事ですから、要検討と考えます。ヘルメットもピンキリですから2000円しなくても買えます。ヘルメット被ってないのはバカとは言えないですが、やはり、面倒だし、少しスーパー行くとかなら被る必要ないと思うし、規制するべきでもなくて、個人の選択にかかってるんだけど、長時間自転車漕ぐ人は必須と思います。よくオシャレなロードバイクとか乗ってオシャレに着飾って透かして自転車乗ってる若い人見かけます。最近だと女性もかなり増えてきてる印象があります。オシャレもできて運動もできて都内散策できて一石二鳥だからでしょうか。けどそういう人達が事故に会ってるのを結構見てきました。彼らはスピード出すことがカッコイイと思ってたりヘルメットも被ってないし自分は事故を起こさないと過信してるから逆に危ないんですよね。あと道を先に譲るってのが安全に効果的ですね。なぜなら、余裕や冷静さがあると周囲の状況判断明晰も急いだりすると視野が狭くなるので。だから、個人的に絶対に道を譲る宣言をしてます。そうすると結果的にその方が逆説的に速かったりします。どういうことかと言うと、こっちが譲るという姿勢を常にあると、相手の人も譲ってくれやすいからです。けど、自分が自分がとなると相手はこんなやつに道譲るものかとなり、結局そこでスムーズに流れずに遅くなってしまう傾向あるようになります。なのでその方が実は速かったりします。また、譲られた人や車もこんな社会的に末端ド底辺がカチッと自然に道譲ってるとなると、彼らは遥かに自分の方が社会的に立場が高いですから、ド底辺でそれですから、それをみたらそれ以上の紳士的な振る舞いを自分に要求するかもと僕は思いました。それは2次的というか後づけ的な理由ですが、そういう譲る雰囲気みたいなのが僕は循環すると考えます。そうすると色んな所で譲る雰囲気があれば、みんな落ち着いて自転車やバイクや車を運転できます。