【地方の時代とGとLの概念の関係について】


【地方の時代とGとLの概念の関係について


異文化コミュニケーションについて研究しようと今日川越で約4時間フットサルして思った。

具体的には、「L」と「G」についてのコミュニケーション。ざっくり。これは別世界なんだなと坂戸に来てなんとなく思った。
前は板橋区に住んでた。

GとLは佐々木俊尚さんと冨山和彦さんとかが本とか出してて何となく言葉というか、そういう概念みたいなのはあるんだなと思った。

けど、これはかなり自分の生活に即した話と思った。そこに対する理解不足は誤解として不和を生じる。

これは自分のパラダイムから来ている。だから、それについて正しく学ぶ事は自分が今後色んな地域で生活すると考える上で大事と考えた。

要はGとLの領域があり、人や組織やコミュニティはざっきりどちらかに分別される。僕はこれは水と油みたいな世界と今日思った。右脳と左脳。大和言葉と論理語。エモーショナルとロジカルみたいな分野でそこは交わる事はない。

ここらへんにきて、多様性がないが、多様性というのもG側の特性みたいな事なのかなと思った。その特性をL側に求めるという事は、プロ野球で例えると、清宮幸太郎選手に足の速さを求めるようなものだと思った。

彼の父親がテレビのインタビューで、清宮選手は足がそんなに速くなくてなどと走塁が弱点ではないかという言及に対して、「ホームランを打ったらゆっくり帰って来れるからね」と返した。

または、小技の効く繋ぐ意識の高い選手に対してホームランを求めるようなものだ。多分範囲が違うんですよね。佐々木俊尚さんが家入一真さんとの対談で、地方には地方の言語があるという話をしてた。

それは方言ではなくて、不文律のようなローカライズなコミュニケーションのような。それは堀江さんと世界的なアーティストの立花隆さんとのニュースピックスでの対談で話してたんだけど、世界中で立花隆さんは景気がいい地域にInstagramから連絡があり仕事にいくみたいな話で、その地域ごとに不文律みたいなのがあって、例えばショバ代を払わないとそこではビジネス展開は簡単ではなく、各地域で手広くビジネスを展開してる企業はその不文律を理解しているからで、日本人はその理解不足というか苦手みたいな話をしてた。多分そんな感じで日本の中にもそういうのがあるんだなと。

なぜなら、元々日本は今はひとつだけど、昔は各藩とかで独立してた。それってなんとなくヨーロッパの国々が1つになってEUになったみたいなのと同じなんかなと個人的に思った。

そういう訳で、実は日本の中にも各地域があり、今はヨーロッパの人がEU圏内を自由に行き来できるように日本も各県を自由、実は各国ごとに別れていて、それぞれの言語がある。

佐々木俊尚さんが多拠点生活で福井県の小浜町かと東京と軽井沢の3拠点を行き来してるらしいんだけど、なんでそこに留まってるかというと、その地域のパイプ役がいるからということらしい。

小浜町が地元でそこの言語も話せて、東京とかから来た人ともコミュニケーションが取れるのと、役所みたいな所とのコミュニケーションもできるその地元の人の存在が大きいみたいな話をしていた。

それは地方のなまりがあるとかの話じゃ多分ない。プログラミング言語と会計の言語とみたいな話。この2つは同じ日本語なんだけど、言語としては領域が違う。

それってまさに異文化コミュニケーションみたいな話なんかなと思った。大学の時にそう言う単位の選択制の授業があり、それって日本と海外の対立軸の話なんかなと思ってたけど、多分違う。

埼玉県民からして「池袋より先は外国」ってずっと昔に母親が幼少の時に言ってて、それは埼玉県を自虐するもんかなと思ってたけど、まさにそんな感じなんかなと。要は各地域がそれぞれ外国だった。

その間の異文化コミュニケーションみたいな話。その理解なしに多分そこに住むというのは自分がフィットできないんと思う。確かに物理的には家賃を借りて住むことは可能だ。

けど、一時的には難なくやり過ごせてもいずれ不調和がその理解なしに自分のパラダイムの不正確さから誤解して現れるんと思うんですよね。だから、そこに関しての正確なパラダイムというレンズをかけることで、曇ったパラダイムのレンズから物事をみて歪んで見れるより、より正確にその文化の中での理解に務めることができる個人的に考えました。

それで自分がGなのかLなのかまず理解する事が大事で、それはどちらがいいとか良くないとかいう話ではなく、そういう評価は全くなしにあくまでもどちらも中立です。

ただ、自分がG側の場合、L側の理解不足から、そこの人や組織やコミュニティにおいて問題が生まれるように思えました。それは相手など外側が問題ではなく、自分自身の理解不足というパラダイムの不正確さが問題と僕は考えます。

かと言って自分の特性をGからLに、または、その反対のように変化させるのも違うのかなと思っていて、それは違う領域の理解が大事だと思いました。Gの人がLの環境に移ったとして、Lのように自分を変化させるのは、ホームランバッターの清宮幸太郎選手を赤星さんのように盗塁王を目指すように突如変えるようなものなのかなと。

自分の特性はそのままでいいんだけど、反対側の理解するみたいな。当たり前の話かもですが、日本のどこの出身かでそこの文化的なものは違うのですが、それは日本というくくりがあるものの、実は外国のそれと同じように全く違うということなのかなと。

今日やってて思ったのは、自分と同じ領域の人と付き合えば滑らかだわと思ったんですが、こう考えるとそういうスクリーニングするのはちょっと違うのかなと思いました。

両方の領域の人達とストレスなくコミュニケーションを取りたいです。それは英語やスペイン語を話せるようになろうという話ではないです。なんでそういうの全く考えた事もなかったんですけど、色々目の当たりにして、冨山和彦さんや佐々木俊尚さんなど、それについて本を出してる人達をフォローしたり立ち読みとかして、自分なりに考えます。

ここの辺はインフルエンサーとかは考えなくはないだろうけど、僕は興味があり、そうじゃなかったりすると考えてくれないので、それは自分で調べたりして考えるしかないです。適当に考えて、上のお二方とかの情報発信とか本とかと自分の考えをすり合わせる。