交通事故を予防するにはについての考察

自転車とか交通事故を減らすための方法って多分いろんな方法があると思うんですよね二つあってハードとソフトのアプローチがあると思うんですよそれで事故が起こった後に保険をちゃんと入っているって言うことももちろん重要なんですけれども僕は今日はソフトの面で考えてみたいと思うんですよね道徳な意味で謙譲の精神みたいなことを言われるんですけど僕はそれは合理的な理由だと思うんですよなぜならばそれをすることで自分も時間の節約になるし効率的なんですよね人に道を譲った方が実は自分が早く行ったほうが効率的っていう風に思えるかもしれないんですけれども実はそうじゃなかったっていうのが自転車の配達どうやっててさえさん体験で思いましたそれで道を譲るっていうのはプライドがあったりとか自我があったりとかつまり英語があったらなかなかできないことなんですよねじゃあなんでそれをやるかって言っと道徳的にもっともなことだからではないと思うんですよ自分が合理的に考えて効率的に配達をする考えたら人に譲ったほうがはるかに時間の節約になるからなんですよねそれで最近麻布十番で立ち読みで渋沢栄一論語の3番読んだんですけれども当時江戸時代から明治時代になるめちゃくちゃ変化の激しい時代すごく不安定な時代に僕は生まれたみたいなことをその本で書いてあったんですけれどもすごく不安定な時代だったんですけれどもだからこそ論語が改めて必要だったんだよねっていうことが書いてあったんですよね要するにそういう不安定な時代はお金でなんとかできるようなそういうことじゃなかったんだと思うんですよもちろん当時の政府がお金を出すことによって例えばインフラを整えたりとか道路を整備したりとかそういう金銭面での社会を良くするみたいなアプローチあったと思うんですよねそれとは別にソフト面ではその論語渋沢栄一が広く社会に浸透させるという点で社会を大きくよくして行ったんだなっていうふうに僕はちょっと読んで思ったんですよねそれって多分7つの習慣的なアプローチだと思うんですよ要するに原理原則に基づいた繁栄の基礎を作ることによって長期的に個人や組織が反映するっていうアプローチだと思うんですよねそれはお金では成し得ることが一筋縄ではいかないことだと思うんですけれども要するに何が言いたいかって言うと明治時代のものすごく不安定な時代に論語っていうソフトなアプローチがものすごく効果的だったんじゃないかなっていうふうに僕は考えたんですよ

つかれたからおしまい