伽藍とバザール

批判とか避難とかド正論ぽそうなのを言う事でぶわーってアドレナリンがでて正義感から高尚になるのは大体みんななんかもうそんな感じなんよね。特に問題なのは、真北に行くのが自然からして正しい方向だとして、なんか「こっちが真北だ」と正義感ふりかざして高尚になってるんけど、南だったりするんよね。意識的にも無意識的にも。既得権益とかポジショントークから意図的に南を指して真北だっていうのは、もうこれはずっと多くの組織が多かれ少なかれやってきてる事で、部分最適の為の彼らの中では目的を達成する為の正義なんけど、全体最適をないがしろにしてるんよ。それって伽藍とバザールという本があるが、その2通りのクラスターにざっくり分類される。伽藍の人達は部分最適で自分や自分自身の利益に奔走する。バザール的な人達は社会や世の中の全体最適を考える。自己犠牲とかそういうのとはまた別で。どっちがいいとかはよくわかんないけど。伽藍の人達は特許とかを取得して自分たちが利益を得られるようにする。一方でバザールの人達は車輪の再発明じゃないけど、車輪を発明したら、どうぞ人類の為に役に立ててください、と無償提供する。ある時僕は人工芝を発明した方とお会いしたことがあり、ご本人伺ったら、「特許を取得するの忘れちゃってテヘペロ」みたいに言ってた。だけど、お陰で僕達は人工芝のグランドや野球場で快適なスポーツとかをできている。もし、特許を取得して発明を囲いこんで使う度に手数料とかを払うようにしていたら、それらを払うのは結局僕達な訳ですから、今とはまた違っていた。そんで話を戻すと、無意識的に南を指して「こっちが真北だ」と正義感をふりかざしてアドレナリンでて高尚に陶酔するが、ジャングルの中で真北が出口で、南に行くと最も危険なエリアなのである。そうしたら、ジャングルに迷った人達は南だというリーダーの意見に鵜呑みにして命を落としてしまう。そういう訳で価値観というのは当てにならないね。原則を徹底的に学ぶんよ。