シェアリングエコノミーの時代に突き詰めると布団1枚敷ける程のスペースでいい。極論。
なぜなら、それ以外の所有はしなくても可能な時代になったから。
例えば洗濯機はコインランドリー。風呂はスーパー銭湯とか銭湯。冷蔵庫もその都度買ってきて食べる分だけ食べる。コンビニが冷蔵庫、冷凍庫。
ご飯はレンチンご飯。保存きくというか、これもまた食べる分だけ3個ずつとか買えばいい。炊飯器で炊くと食べきれなくて黄ばんだりするし、冷蔵庫に入れて保存もしんどいし終わったあと釜を洗うのもしんどい。
食器なんか紙皿。橋は割り箸100善138円とかでジェーソンで売ってる。箸は洗うのがめんどくさいからこれでいい。
なぜ広い家かは見栄と所有の為だ。所有やめると広くなくていい。
荷物なんかはサマリーポケットという倉庫に荷物を預けられるサービスがある。
これは160サイズのダンボールに月額400円で保管できるサービス。120サイズは250円。
写真撮影のコースは30点まで写真撮影してくれて、月額500円。アプリで撮影された商品をみて、ピックアップしてそれだけ取り出すとかできる。
160サイズに25キロ以下だけど、詰められるだけ荷物を入れられる。すごく荷物が入る。部屋はすっきりする。
大体要らないものは捨てるかヤフオクメルカリラクマで併売断捨離するか大型はジモティーでゼロ円でまとめて処分料かけずになくせる。
そんな訳で所有の時代において大きな家は保存や保管の機能を果たしてたので、大きいほど良かった。けど今サマリーポケットとかの保管代が安いので、都心に高い家賃や土地買って無駄なモノを保管するために家立てるより、そうゆうの使った方がリーズナブルと思う。
所有の時代はたくさん持っている=ステータスみたいないい価値だった。大貧民でいうエースみたいなカードの選択肢だったけど、同じカードを4枚出して「革命」を起こすと、エースは無価値の3のカードになって逆転する。
まさにあんな感じで多分スマホ革命みたいなのがそんな感じなんと思う。
それって大貧民で言うと革命起きてるのにブタのエースとかをしこしこ集めてるみたいな感じなんじゃないかな。
「みんなが持ってるから」ってエースである所有物を同じように所有するんだけど、そのエースは全く価値がなく単なるブタみたいな。
逆に足かせになるんよね。だってそれみんなやってるからって別にそれ純粋に心から欲しいわけではないが、ただ何となくみんなが同じ事してるから、正しいと思って所有するじゃないですか。
なんで布団1枚程のスペースの住まいとなると、それは自立運転可能と思うんすよ。
だから、それが移動勝手にしてたら定住しなくなるんじゃないか説。