好きな事をやってればいい

こちらの内容は、simejiの音声入力で書いてます。誤字脱字ご了承下さいm(_ _)m

 

 

 

 

 

最近一ヶ月ぐらいでソーシャルゲームスマホのゲームを久しぶりにやってみた始めたきっかけは家族がゲームが結構好きで飲まさ側は最近無料でいろんなの配っているからログインだけしておくといいらしいよということを度々聞いていたからだそれで気になっていたので時間もあったし実際にインストールしてやってみたミラティブの配信も将棋はやっていたんだけれどもそれ以外のゲームやったことがなかったのでこの機会にロマンシング佐賀の配信をやってみようと思った実際に一週間ぐらいだって最初のうちは物凄い勢いで一気呵成的にやっていたんだけれども最近少しやるのがかなり億劫になってきた根本的な原因をいろいろ考えた結果最初に言うと多分損得勘定が発生していて義理的な感じにやらなければいけないというような状況に陥っているからなのかなっていう風に思ったつまり自分から進んでやるという主体的な状態というよりもわりと能動的なしなければならないという状況に陥っていたからなんとなくゲームをやることが億劫になってきた具体的にどういうことかと言うとロマンシング佐賀は色々やることがいっぱいあったりいろんなアイテムが漏れてもらえたりして使わないと勿体無かったり一日のやることを消化しないと思っていなかったりしてしまうそうするとしなければならないみたいな状況になってしまっていてそれがなんとなく自分には合わないなっていう風に思った一方で将棋はもうかれこれ四年以上ほぼほぼ毎日スマホの将棋クエストというアプリで祥ている最近三千勝ぐらいしたのかな本当に毎日少しでもやっていてなるならばスマホでどこでも気軽にできる体例えばスキマ時間電車を待ってる時間とかでもちょっと結局さしたりすることができたりとか待ち時間に一曲させたりとかもできるそんな感じに自由に主体的にできるという状況が僕にとってはしっくりきていたんだと思うここで本題ですが、このことから六改めて考えたのはやはりアマチュアという状態が最強なんじゃないかなということですなぜならば、アマチュアというのは損得勘定なしに好きだからやるという純粋な、状態だからです。一方でアマチュアじゃない状態つまり損得勘定が発生している状態というのは義務と権利が発生終了ということが言えると思いますなぜならば何かしらの利益やメリットを受けている相手に対してそれ相応の成果なりを残さないといけないからですこれは一般的なプロのような状態から広義的に本当に少しでも利益を得ているようなアマチュアの人達にとっても言えるようなことなんじゃないかなっていう風に思えますつまりプロっていうのは物凄く大金を貰っている人達だけではなくて実はアマチュアじゃない状態の人たちを広義的に僕は定義づけた時にそういうメリットや利益を得る為に何かをやるということは長期的には長続きしないんじゃないかなっていう風な仮説が立ちましたこれはあらゆることに言えるんじゃないかなっていう風に思いますつまり好きだから純粋にあるという状態こそが長期的に持続可能なわけなんじゃないかなっていう風に思いました確かに義務と権利が発生した状態で一生懸命頑張るみたいな状態が好きだったりとかそれがしっくりきていたりとかそれでも長続きするような人達ももちろんたくさんいるんだとおもわ思いますだけれども色んなところでその歪みみたいなようなものが発生するんじゃないのかなっていう風に僕は考えます降

振り返ってみるとフットサルも二十五歳から初めて今三十五歳月がもう十年以上やっていますしまだ出来的にやってみますがやはりずっと結構な頻度でフットサルを続けてこられたっていうのは好きだからやるという状態が続いていたからなんじゃないかなって冬に振り返って思いますしかしながらもし同じフットサルであっても仮に僕がプロのような選手であって何かしらの利益などをもらっている状況であったらもしかしたら長続きしないのかなっていう風に思いました

 

最初は純粋に好きで打ち込んでいてものすごく情熱があって楽しいからどんどん上手くなっていくうちにうまいからどこからか声がかかったりとかして彼らは利益が発生するようなプロのような状態にどんどん近づいていきますそして彼らはそこから大なり小なり利益を得ていきます例えば高校に進学する時に野球が上手ければ学費や入学金やいろんなものが免除になるから私たちの高校に来てくださいよという風にオファーが来るかもしれません当然ながら本人だけではなく家族にとってもそれは経済的にはものすごくありがたいことで助かる話です一方でそのような利益を受けてしまうと自由が結局的に制約されてしまう可能性が高まってしまいます例えばものすごく理不尽な思いをされて辞めたいんだけれども学費も入学金もあらゆるその他の備品代とか諸経費も商品もすべてが免除されている状態であったならばなかなか利益を頂いている学校から辞めたいという風に言うことは難しくなってしまいます例えばの話ですが大なり小なり利益をもらっているということはそのような事でこれはその利益を受け取っているものが大きければ大きいほど流動性は反比例して少なくなってしまうんじゃないかなっていう風に思いますなぜならば大きな経済的な利益をもらっていればもらっているほどそれを失いたくないがためにやめられなくなってしまうのではないでしょうかこれはあらゆることに言えるんじゃないかなっていう風に思いますつまり大きなポジションというものは外側から見ると、ものすごく羨ましがったり、たくさん利益を得ていていいなぁという風に思うかもしれませんが、流動性は低くなりますし、辞めたくてもやめられないというような不自由さんも受け入れなければなりません。つまり大きなポジション得るということは、諸刃の通勤のような感じで、

 

結論を言うと、純粋に楽しくてやっている没頭している状態が最強なんじゃないかなということです、さらに時代の流れが変わり、テクノロジーが進化して私たちはもはや大きな金銭的な利益を得られなくても十分豊かな生活を得られるようになりました。一昔前は経済的な豊かさが幸福や豊かさに直結するような時代だったかもしれませんしかし今はテクノロジーの進化によって生活のコストは著しく下がりました例えばシェアリングエコノミーで者などはフリマアプリなどで誰かのお下がりのものをもらったりタダでもらったりとかものすごく安く出品されているものをタダ同然で手に入れられるような時代になりました例えば家具なんかはそうですが今は引越しのシーズンなのですぐに引っ越したいから家にあるソファーやベッドや電子レンジなどの角などをすぐにでも手放したいのでタダであげますよという投稿が例えば地元なのでたくさん山ほど泉のように毎日発生していきますつまり家電も家具もほぼほぼタダでもらえるような時代になったのです昔はお金に頼ってそれらのものを新品で買わないといけないような時代があったのかもしれませんなぜならばネットが発達していないのでそのようなマッチングが行なわれることができなかったからです確かに地域の人達の中で例えば赤ちゃんのお下がり洋服を隣の家の子供にあげるよとかそういう限定的な地域での共有はあったのかもしれません例えば僕は小さい時に隣の家のお兄さんからドラクエ2をもらったりしまいました一方で今の時代はネットが発達したおかげでごくごく限定的な地域でのシェアが日本や世界的なシェアになった訳ですそうすると物の価値はほとんどなくなりましたということはお金をそれほど持ってなくてもそういうものをもらえるわけなのです昔はそういうのができなかったので買う必要があったのである程度お金がたくさんあった方がそれだけ、おしゃれな家具を高級な家具を買ったりとか、そういうことに繋がりました、だけどそれらは今はほぼほぼタダでもらえるような時代になりました。何が言いたいかというと、ここから分かるように技術的なネットなどの飛躍的な進化によって僕達はお金をほぼほぼかけなくても豊かに生活することができました、したがって純粋に好きで没頭して打ち込んでいた状態の何かを何かしらのメリットを受けるような状態にならなくても別に良いということです何が言いたいかというと、好きで、それだけやってれば良いっていうことです。好きでそこから利益を得ようと考えなくていいということです。言い替えると何かしらのマネタイズを好きなことからする必要がないということに僕は結論が出ておりました。僕は嫁が結構ゲームが好きなので、よくゲームの配信とかしないの話とか聞いたりするんですけれども、毎回そういう風にやってしまうと好きでやってるのに嫌いになってしまう可能性があるみたいなことを度々言われてきました。今思うと僕は本当にそうなんじゃないかなっていう風に思います。