1400円で久しぶりに根津美術館に。コロナでやってなかったから。
織物展だった。行くと決めていたので、定期的に展示は変わるんだけど今回は織物。
ざっくり拙いアウトプットだけど、中国から織物の技術がきて、小袖が着物の源流になった。様々な技術が1000年以上の歳月の間にできあがった。様々な技法によって、繊細な模様や自由な表現が織物の中にできるようになった。
時系列的にブースに順に歩いていくと、700年とか1000年前の初期の織物は、素朴で質素なものだった。色合いもそうだし、模様もほとんどないような地味な感じ。
そこから時系列で徐々に様々な柄ができてて、それはもちろん工業化されてない時代、全て手で作り上げたもの。
相当昔のそれがまだ残ってるだけでも奇跡的。これを、作るのにかなり時間かかってるんだろうなと思った。
そして、デザインが全く色あせてないというか鑑賞としての美しさがある。ずっと眺めてたい気持ちになった。だけど、順に並んでるので、次にズレなくてもいけない。
もちろん着る中にそのような柄が組み込まれてる。何とも形容できない美しさがあって、日本の美の伝統のような、日本特有のそれが多分あって、ずっと日本にいると全く気づかなかったり重宝されないような美しさの原型で、普段の生活にも実はそういうのはまだ依然として残ってるような気がしてならない。
今見ても色褪せない美しさに引き込まれた。自然美なんかなと。日本は自然と共生してて、人も人から生まれる表現も自然で、ふじみ野市の大原公園で見上げた藤の花のその様とただずまい、あり方と何となく相通じるものがあった。
江戸時代になると、複雑な表現ができて、色合いも派手な感じになってた。もちろん、その時代の着るものから何から全てがそのような感じではなかったんだと思う。
西洋の織り方と東洋の織り方が融合した時に自由度の高い繊細な表現ができるようになったみたい。
今は工業化が進み、多様なデザインの服がある。ラフォーレ原宿でも斬新な手で作った作品がたくさんあったのを見てきた。
あらゆるデザインの服は当たり前のように今は存在してるが、ある日忽然と全てができるようになったのでは当然なく、長い歴史がある。
あまりにも安価に服が手に入りすぎて、その重要性やありがたさはどんどん希薄になっていく時代でもある。
だけど、仏教や神様への信仰など魂を込めて着物や織物や服を作る事に人生をかけて、先人のそれらの多くの人たちの功績の延長線上に僕たちはその技術や知恵の恩恵をもろに受けてる。
根津美術館は初代館長が多方面の古美術作品を集めていて、紀元前の中国の青銅器もまた引き込まれる神々しさを時代を超えて依然として発してるような気がするが、そのようなものを集めて、定期的に展示してて、そのコレクション織物など多岐に渡るという。
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