※こちらの文章はGoogleの音声入力で一筆書きで書いてますので誤字脱字ご了承下さいm(__)m

 

 

 

さっき自転車屋さん行って最初に行った時は台の自転車屋さんはすごいとんちんかんな診断で次のレコーダーのサイクルショップは正確ですごい助かったんですけどそこも不正確な診断がどうのこうのっていうのが問題じゃなくてそれに対するこっち側の対応と言うか相見積もりとかセカンドオピニオンをどうやって撮ってくれのかみたいなそこの自分の問題とか責任とか精度をいかに高めていくか みたいなのが大事なんですよね なぜならときわ台の人の 死んだの不正確なことをいくら言ったところで 診断ってそもそもそういうもんなんで仕方がないしそれをいくら言ったところでまったく自分は変えることができないんで時間がもったいないんですよね つまりそこに考えるエネルギーをさいたところでらちがあかないんですよ そうしたら自分自身がそういうセカンドオピニオン的なところをどうやって精度を高めてかかってきなことを考えた方が はるかに今後の自分の生活は良くなると思うんよね つまり 影響の輪にアプローチをするということ なんですよ 七つの習慣で言うところの 外側のことは関心のは出会って そこにエネルギーを働きかけたところで全く変えることができないんで時間とかエネルギーとかがもったいないんですねだけどそこからじゃあそういう風になった時にどうしたらいいかみたいなのを考えてじゃあセカンドオピニオンとか合見積的なものを 二つの場所からやるんじゃなくてじゃあ四つとかいつつとかの人から意見を聞いてフィードバックを受けるようにしようとかそういう改善は自分自身のことだからいくらでも改善できるし そうすればもっとそのセカンドオピニオン的な所の精度が上がってくと思うんですよねそもそも 人間が行う診断っていうのは 性格じゃないっていうのが当然のこととしてまず受け入れる必要はあってならなぜならもちろん自分自身もそうだし 他の人も すべてがわかるわけじゃないんだね 自転車屋さんを 経営してたとしても必ずしもものすごい高い専門性があるとは限らないってことなんですよだからそれを見ても さっき自転車屋さん行って最初に行ったとき肌の中でさえさんはすごいとんちんかんな手段です昨日江古田のサイクルショップは正確で凄い暑かったですけど