予防医療と銭湯と和式便所

予防医療と銭湯と和式便所

 

 

 

今後ヘルスケアとか予防医療とかが時代のトレンドになるんと思う。なぜならば暇になるから。やる事ないわーってなってて、それが貴族階級みたいなごく少数の人達だけの世界だったが、そこも民主化されたというかみんなが徐々にそうなってくという話。要は日本や世界の全体で可処分時間が増えて、余白に不安煽られた所得が少ないとか将来がとか憂いたりするんけど、多分運動とか健康にいいような活動に行きつく。これはお金の価値というか狂信的な信仰が薄らいだ事によって、それを獲得する活動に費やす時間も比例して減る事になるからとか、要はスマホとかテクノロジー起点で複合的にそこに行きつくんかなと。

予防医療とかの切り口ってめっさ多様に無数あるんと思うけど、僕は銭湯と和式便所への回帰と思う。江戸時代はその2つが揃ってた。今合理性を考えて銭湯もどんどん減り、和式便所も稀にあるけどかなり希少。みんな和式便所より洋式便所の方が楽だからそっちを好む。だけど実は和式便所の方が自分の健康にとっては理にかなってるんではないか?と最近体験を通して思ってきてる。

銭湯に関してはやはり昔ながらの銭湯は減る一方。例えば地元川越の時の鐘の近くにあった川越唯一の銭湯も一昨年あたり長年経営してたらしいけど閉店した。新コロでそれがいけない事だと刷り込まれ、お上の言われた事を素直に聴くような割と年上で郊外や田舎に住んでる人はその通り従う。当然ながら昔ながらの銭湯に来てる層はその様な層が多いので客足が激減し、運営の存在意義も否定されたような格好で、お店を閉じる決断をしたんだと勝手に推測した。

和式の格好は排便するのに合理的な姿勢で、洋式だと出なかったりする。要は便秘は食べ物やここの体調やライフスタイルにもよるのかもだけど、洋式を採用したからなのでは?と1つの要因として思う。

高度成長期に銭湯から家庭に1台湯船がある時代になったらしい。母親の実家もおじいちゃんが新しいものすきでいち早くお風呂を当時導入して、水洗便所もいち早く取り入れてたらしいけど、それが当たり前になったが、反比例するように銭湯の役割は減り数も減っていった。

当時って経済的に豊かだったからみんな周りがそうしてきてるから同じようにしてきたしお金も十分あったからそうしてきた。逆にどの家にもマンションにもひとつの湯船がその名残であるのは、湯船の稼働率の低さとそこに支払う賃料なりローンや、それを掃除したりお湯をつけたりするランニングコスト、また光熱費の高騰等を加味すると、実はもう既に多くの人にとっては合理的ではないんかなと。

つまり、時代が変わって当たり前にある一家に一個あるお風呂は常識的ではあるが、単なる名残であり、経済合理性に欠く。

もし仮にお風呂をなくした場合、家賃や家を購入した場合、そこの空間にはらい続けてる費用は減る。でもそれはみんながやってないから、非常識な選択肢で後ろ指さされるような選択になるからしてないが、多くの人にとって、お風呂の稼働率は、車の稼働率よりも遥かに低いはず。

ならみんなが銭湯につかる時代に戻ればいいんでは?と思う。その方が経済的だし健康的。

お金はともかく、かなり健康的なんだと思う。合理的に考えてばっかだと湯船にお湯はるなんてめんどくさい。シャワーで体洗ってすませばいい、という話になる。様々なアートしかり銭湯という伝統アートも不要不急と合理的に片付けられてどんどんなくなってく

 

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