死去した瀧本哲史さんは、なぜ「ディベート」の大切さを説き続けたか : J-CASTニュース


死去した瀧本哲史さんは、なぜ「ディベート」の大切さを説き続けたか : J-CASTニュース

 

 

 

※こちらの文章はGoogleの音声入力で一筆書きで書いてますので誤字脱字ご了承下さいm(__)m

 


 大学の時に英語研究会に1年所属していて1年の時に英語のディベートの方に属してて結構ハマってたんですよね 

 

 英語の学科に入ったので英語の勉強にもワクワク当時はしてて ディベートしながら英語でアウトプットする機会がすごい楽しくてありがたくて結構緊張するんですけどすごい楽しい一年だったですよね

 

 それの反映してたのもこのカッターがその前に先駆的に先駆けて言ったからそういう土台が僕が大学に入った時にあったのかなと思いました

 

 拓殖大学は F ランで英語のディベートのセクションも全く発達してなくて 一方で他の大学は慶応とか京都大学とか ICU とか 東京工業大学とかそこら辺の人たちがすごい英語のディベートに力を入れてて そこで高校2年の時に 学年で 一ニを争うレベルの 同級生で ICU に推薦で入った人に会ったりしたというかたまたま出くわした

 

 それですごい楽しかったから ディベートセクションの 引き受けたんですよね でも全体的にそのセクションの中のモチベーションがみんな低くて上級生の人が一人一人にあってやる気はあるかどうかを聞きみたいなことを僕に言われてそれがめちゃくちゃめんどくさくて結局仲の良かった他の同級生が辞めるって言ったから 1年の時にめちゃくちゃその人と先輩と遊んでたからもういいやと思ってやめた

 

 でも実際に英語のディベートでめちゃくちゃ面白かったし例えば芝浦工業大学の一個上の帰国子女の英語ペラペラ喋れる兄貴文みたいなすごい人来てくれる人に凄いお世話になったりとか 他大との交流もすごいできた

 


 当時は 日本の論点みたいな毎年刊行されてるめちゃくちゃ分厚いいろんなトピックに対する内容が書かれている 百科事典みたいのを買ってそれを読み込んだりして例えば安楽死の是非見たいなトピックが立つ時に それを説得するための材料に収集するみたいなのがあった

 

 当時それに関して全く関心がなくてただ単に英語が喋りたいアウトプットがしたいという欲求だけで ディベートやってたんですよねだからそういうリサーチをすることって全く つまらないことだったんです

 

 けれども今よくよく考えてみれば 堀江さんをフォローしたおかげで結構いろんな杯についての興味が 今振り返ってみると10年前よりもはるかに増えたなって思っていて

 


 今思うと ディベートをすることで その論点を裏付けるようなデータをリサーチする事って結構面白いから今行ったらすごい楽しいなって思ったのでまたちょっと英語じゃないけど日本語とかでインプットアウトプット目的で 行ってみたいなって少し思いました ディベート