たまプラーザBONITA個サル3時間のアウトプット 2019/10/15

いやーキーパーが固かったです。専門のキーパーが参加しててめちゃくちゃうまかったです。やっぱり素手だったんですね。もうすこしポジショニングとか見とけば良かったです。あんまり低く構えてなくてでも判断よくて、とくに前への飛び出しが効いててすごく失点防いでました。多分キーパー革命ってまだ来てなくてっていうことは今後可能性あると思う。時間あったらなんで素手で敢えてやってるのかとか色々聞きたかったです。しかし充実した3時間でしたね。途中気が抜けました。深呼吸で調整。あと雨のあとで滑るから外用のシューズも買おうかなと。ミズノの同じやつ。体育館用より多分ベターだから。うまい人たくさんいました。やっぱりもっとうまくなりたいですね。3時間あっという間でした。休みの間股関節集中してできたから疲れもあんまりなかったかな。けどもっと初動負荷トレーニング毎日できてればもっと動けるから、そうすると攻守の数値がもっと上がると。あとキーパーが半端なくてでもシナジーっていったら大げさかもですが、結局フットサルも将棋もシナジーのゲームと僕は捉えます。だから楽しいのかなと。それでいて自由。あまりにも自由。だから楽しい。人によって多分何か楽しいか楽しくないかは繊細に違う。だけど自分に合うような楽しいスポーツは必ず存在するという第三の案は事実と思う。なぜならごまんとスポーツはあるから。そんで戦前の我慢、辛いことを耐え抜く、必死にやるのが美徳みたいなのは時代遅れと僕は思っていて、それを学校で部活なんかでそんな感じだからやりたくないのに走らされて辛いのにやめられなくてっていうのでスポーツや運動が嫌になる人がたくさんでもあるのかなと。あと自分と合わないスポーツを半ば強制的にやらされたりとか。そら嫌になりますよ。そうじゃなくてスポーツって単なる遊びなんですよね。それはいいことでもなくて良くないことでもなくて中立なんだけど、どう解釈するか。個々人が。僕はスポーツ=遊びと捉えてる。みんなそれぞれ中立な物事をどう捉えるかでそれぞれの世界でそれが展開する。僕は遊びと捉える。なぜならロナウジーニョがそうだから。んで昨日嫁さんと近くの小学校前歩いてたら雨の中小学生が必死に声出して練習してて僕は違和感感じたんですよね。違うなーって。けどそれは彼らは彼らの世界観あるから関係ないんだけど、多分彼らは必死に声を出さないとコーチに怒られるんでしょうね。だから必死に声を出してる感があった。けど本心では多分速く帰ってYou Tube観ながらゲームしたいなぁって思ってたと思います。なんかそういう必死に我慢とかしたってそれが必ずしもうまくなるとは限らないですからね。ロナウジーニョは多分そんな軍隊的な環境で絶対にやってなかっただろうなと思うんですよね。結局そういう軍隊的な強制的なシステムでやると嫌になっちゃうんですよね。楽しければ多分うまくなるんですよね。僕は自分のことしか興味ないからあれなんですが。とにかくキーパーをハックしたいですね。インスタグラムとかでも結局キーパーの動画上がってるからそれみたりとか。