社会的な成功のイメージと定義づけの選択の自由について

 

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僕にとって本質的な幸福とか成功とかは自由です。多分それってお金みたいに数字にすることができなくて可視化できないもので抽象的なものだからみんなはそこを大事だと思ってないです。

また僕たちは多分先人が築き上げてきた豊かな土台の上に生きられてるから自由はものすごく当たり前というか当然なことで、だからそんなに重要だと思わないのかなと。

成功なんて個人が定義づけたとおりに現実になるから、みんなそれぞれの定義づけた成功のイメージがある。

その定義づけは個人の選択の自由。他人がどう定義づけてもそれはその人の自由であって、肯定も否定もできなくて中立。

だけど、マナブさんがこの動画で指摘しているように、社会的な成功のイメージに自分を無意識というか無思考にすりあわせても必ずしもいいケースにはならない可能性もある。


メッシはヘディングで点を取るのを捨てから超一流になったんですよね。多分なんですけど。

例えば、彼の環境で小さい時にヘディングでたくさん点を取ってる選手がいたとして、彼を目指してたらメッシは超一流の中のトップにはなれなかっはずです。当たり前の話かもですが。なぜなら、彼は決して背が高くないからです。

つまりヘディングを一転集中で突き詰めて極めても、例えばセルヒオ・ラモスなんかには空中戦では到底敵わなかったんですよ。


それと多分同じなのかな。ヘディングでシュートを量産するスターがいたとして、マスコミも繰り返し繰り返し彼のヘディングでのゴール活躍のニュースを流す。

多くの人は彼に憧れてそれが成功のイメージだと信じて同じようにヘディング頑張るんですが、彼のようにはならない。なぜなら彼とは身体的な条件が違うから。

そのヘディングで決めるスターは、彼に取って最も長所の身長とフィジカルを伸ばして一流になった。けど多くの人にとっては背もフィジカルもないかもしれない。

なのにメディアが流しまくってる繰り返しの成功のイメージを多くの人に無意識に潜在意識に焼きつけるうたにみんなそれがいいと信じてしまう。

堀江さんの記事も時間革命の本のr25の記事にもありましたけど、みんなヘディングでゴールを決めるっていうメディアが刷り込ませた社会的な成功のはしごも、所有や資産を積み上げることが成功みたいなはしごも画一的に登んなくていいんですよ

っていう長々しいポエム