共にスマホで完結する為、組織の中で対人の機会がめっきりなくなった。
始めたのは堀江さんのゼロって本をきっかけ。その前にバシャールという人の毎瞬間ワクワクするという考えに、前の仕事をやめた。それで堀江さんのゼロって本で失敗してもゼロに戻るだけみたいな事書いてあったんで、何か自分でやってみよーかなーみたいな
フットサルでもたまに人と話したりとかはあったけど、くだらない話するくらいならスマホを観て記事読んだりニュースみたり情報収集してた方が有益だわって思って、フットサル以外は特に自分からは話しかけたりとかはしなかった。
最初の会社は飲み会が定期的にあって、最初の頃は大学のサークルみたいな楽しい職場だったんで飲み会はとてもワクワクするようなものだったけど、それ以外の飲み会なんかも正直くだらないし、飲むのもそこまで好きではない。
それならスマホをずっと観てた方がいいと思うようになった。結局、スマホはそういう人と人との繋がりを少なくしてしまうという解釈もできたかもしれなけど、くだらない飲み会や話をスクリーニングしてくれたとポジティブに捉える事もできるはず。全ては中立なので。
実は太古の昔、人類は一人一人が各々行動してるような時代があったのではないかな?と思う。何万年前とか。
人類も個々の特性は異なるので、色んな個々の課題の結果、相乗効果を発揮して自分の生命を守る為に団結するようになったのでは?
人類は信じる事ができたからこんなにも発展したみたいな話で、要は共同幻想を信じて、その中で相乗効果を発揮したから1とか1+1ではなくものすごく乗じたんだと思う。
相乗効果を発揮する為には様々な原理原則を身につけてみたいなの七つの習慣とかに書いてあったりする。だから1人ではなく何人かが相乗効果を発揮すると1人では考えられないような豊かさや様々なポジティブな恩恵を受けられるんだと思う。
だけど、人類だけではなく鳥や他の種も、群れて活動する種類もあれば一匹で活動している種もいる。
例えば鳩やツバメは群れたりしてるけど、たまに見かける白鳥みたいなのは一匹で川につったってたりする。
だから集団で行動したり群れたりするというのは人類の中でもそれぞれ異なるのかなと。
勝手な憶測だけど、1人で自由気ままに生きてたんだけど、やがて群れるのがデフォルトになり、社会ができ今に至るみたいな感じ。
その為の能力がコミュニケーション能力というもので、人と人が群れる、集団行動をとる時に必要だから、それを重要視されている。
結論、スマホが集団行動や群れたりせずに1人で生きるような人類の、もしかしたら原点のようなライフスタイルなのでは?というスタイルでも何なり問題なく生きられるようにしたいと思うような人達をサポートしてくれる自分の新しい身体の一部であり、インターネットは原点回帰というのは、元々の場所に戻っていくんでは?と